この夏ニューヨークに行ったとき、たまたま手に取った雑誌『GQ』で中田君を見かけた。自分探しの旅に出かけてしまった、あの中田君だ。彼のインタビュー記事が載っていたわけじゃない。彼をモデルとしたファッション特集が組まれていたのだ。


「決してモデルには見えないこの男は一体誰なのか……そう思っているだろう。そう、彼はモデルじゃない。この男はヒデトシ・ナカタ。彼は、男性モデルが望むような人生を送っている。プロのサッカー選手としてイタリアのチームでプレイし、日本代表としてワールドカップに3回出場。今、彼は30歳。サッカー選手を引退してから世界中を旅している。シドニーに1週間。その次はニューヨーク・・・・・・。その間にミラノやパリの数多くのファッションショーに立ち寄ったと言う。デザイナーたちは彼を知っており、彼のために特等席を用意する。もうグラウンドを走り回ることはない。フーリガンに悩まされることもない。さらばロッカールーム。今はただ、グッドライフだけ」


 ものすごく適当に訳すとこんな感じのコメント付きで、10ページくらいの特集だったから、扱いの大きさにちょっと驚いた。基本的にはあの顔なんだけど、これがなかなかいい感じなのだ。とくに上半身裸の写真(ファッション特集なんだけど)。現役時代はまったく興味なかったけれど、今の中田君ならお洋服を脱がせてみたいと思わせる美しい筋肉。よけいなものはそぎ落とされているのに作られず過ぎず、わたしがカメラマンでも、ファッション特集にかかわらずお洋服を脱がせただろう。


 と、そんな前置きがあったので、安藤優子が司会をする番組が「キャッチした」という中田君を観るためにテレビをつけた。

 ドバイの砂漠にかなり強引に作られたセットで滝川クリステルからインタビューされる中田君は、雑誌で見たときよりもさらにキュートだった。クリステルと一問一答するというありきたりな企画に、「何でも訊いてください」と笑顔で答えた彼。やっぱり旅は人を変えるのかしら?


 中田君が質問に答えるとき、画面の下に質問内容がキーボードで打たれていた。番組中に視聴者からメールで募った質問だから、テロップってやつが間に合わなかったんだろう。時々打ち間違えるのが妙にリアルで、きっと入力のプロだろうに緊張していたと思われる。


 どんな質問だったか忘れたが、入力者は「寂しがり屋ですか?」と打とうとした。そして画面に一瞬、


 「寂しがり屋台」


 の文字が見えたのだ。「屋」を出すために「屋台」を選んだこの人は飲兵衛なのか!? 「屋根」でも「屋号」でも「屋敷」でもいいのに、なぜ「屋台」? 

 「寂しがり屋台」には夜な夜なさみしんぼが集まるのだ。おでんがいいだろう。お出汁がよくしみた牛筋を食べながら孤独を噛みしめ、北風がピューっと吹いたらコートの襟を立てて言うのだ。「孤独が沁みるぜ」


 おばかな妄想に浸っているうちにインタビューは終わってしまい、番組も終わってしまい、記憶に残っているのは、中田君の上腕二頭筋の美しさと、クリステルのアマガエル色のカットソーと、安藤優子はB型かも?という推測だけだった。それにしても、櫻井よしこはカッコよすぎる。


BLACK BOWMORE 1964

ブルーラベルの静岡価格でワンショット8000円。六本木のバーならワンショット9万円くらいするらしい。

モルトのことなんてまったく解からないモルト素人のわたしでも確かに美味しくて、

(と、どんな味だったか書いてみよと思ったけど、あまりにもいろいろなものをいただきすぎて、

どの記憶がどのモルトだったかぐるぐるに混ざってしまった)

「どうもありがとうございます」という感じだったけれど、

美味しいと味わったのはわたしの舌だったのか、それとも脳ミソだったのか。


モノの価値は誰が決めるんだろう。

ブルーラベルのワンショット8000円は、

BLACK BOWMORE 1964の希少性をベースにモルトを愛するあの社長の心意気を多分にブレンドして、

さらに静岡という場所柄からはじき出された金額だとしたら、

六本木のバーのワンショット9万円は、

BLACK BOWMORE 1964の希少性に六本木という場所柄代が最大限乗っけられて、

さらに「六本木のバーでBLACK BOWMORE 1964を飲んじゃってる俺様」という自己陶酔をプレゼントする

ラッピング代が含まれての金額なのかもしれない。

いずれにしろ、BLACK BOWMORE 1964に価値を見出せる人にとっては

どちらも決してぼったくりな金額ではなく、価値と金額がイコールなんだろう。


てことは、モノ自体の価値に人の思惑が絡み合って「ありがたい」となる。

味わう舌とありがたさの背景に関する知識があってこその価値。

心の中で実は、

「えーっと。確かに美味しいけど日本酒のほうがすきかも。でもそんなこと言ったらヒンシュクだろうな」

なんて考えながら、

「うーん、美味しい。今、わたしは、歴史を味わっているのね。素晴らしい瞬間」

とか適当なことを言ってBLACK BOWMORE 1964を飲んでいたわたしは、

まったくもって猫に小判な罰当たりだ。


美味しいと味わったのはわたしの舌でも脳ミソでもない。

そもそも味わってなんていないのだ。

ただ、「“あの”BLACK BOWMORE 1964を飲んだ」という経験に浮かれていただけ。


いつかどこかでBLACK BOWMORE 1964の話になったとき、

「わたし飲んだことあるよ」

とは決して言わないように気をつけよう。

核心に触れないもどかしさは、天秤が釣り合っているときにだけストイックなお楽しみとなる。
けれど、欲望をまっとうしたいと願った瞬間に天秤は一方に傾く。
靴の上から足のかゆいところを掻くはがゆさに焦れて、
ストイックなお楽しみは恋という迷宮を彷徨う苦しさに変わる。
わたしは靴を脱いだのだから、あなたも裸足になって。
この身勝手さに気がつかないまま底なし沼でバランスを取ろうとしても、ただ埋もれていくばかり。