■前1■
イタリアとオランダへ行ってみたのは、
完全に環境の違う空間の経験と絵を観たかったからだ。
そして己身を絵画に閉じ込めること。
完全にひとりでバックパッカー的に。
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行きはイタリアのローマで過ごしてみた。
空港からレオナルドエクスプレスでローマへ。
チケットは前もってオンライン上から決済していたのでスムーズだった。
モニタには交通案内や漫画のイベント広告が。
かなり飛び込みになったが、
ローマ市街から離れのBARの2階で素泊まりした。
午前3時くらいまで1階では地元の方々が飲み明かしていたが、
早朝ふと降りてみると、閑かで何ともノスタルジーな感覚になった。
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ウォーターズのイベントがあるのだろうか。
テレビでマンソンのドキュメントがやっていた、なかなかエキサイティングである。
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オランダ、アムステルダムは駅で降りた所から、
さらに違う文化と云う印象だった。
観光客は多いがアジア系ではなく、欧州圏内の観光客が多い。
原宿のマクドナルドにひとりで入れる性格で良かった。
そして世に言うインスタ映えとは、この街の事なのだろうか、
極東圏内から来た者としてはまさにである。
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この、夜の黒い川が印象的だ。
個人的には銀河鉄道の終盤を思い出す。
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そしていよいよゴッホ美術館へ。
ゴッホ / 花咲くアーモンドの木の枝 をゆっくり眺めていた。
その後、鏡へ投影した己で絵画へ閉じ込める。
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イタリア、ミラノ
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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
ここにその作品はある。
レオナルドダヴィンチ / 最後の晩餐
これはマストだった、
ミラノは帰りの途中で寄って何とか間に合った。
(円形上の街を余すところなく歩いた、
最後は絵を観に行くと云う気力だった)
絵画へ己身は閉じ込められた。
観終わった後、
感動と疲労と虚無と既存を超えて放心する。
カラータイマーを点滅させながら空港へ向かう。
次はトルコかカナダか。
帰国後は相も変わらずホームページ制作に従事している。
むしろオランダでもやっていたけれど。(ノートPC持参)
趣味の範囲で、知り合いのバンドマンの制作ばかりだったが、
何やら飲食店や薬局、
近々ではガラス工芸家のページ等…。
何やら妙な拡がりを見せている。
あくまでも、それでも、自分の出来得る範囲でやっている。
薬局の撮影にはインテツくんにご協力頂いた、
その後、カフェを3軒巡ると云う、
そう云うのはむしろ臨むところである。
彼との話はとても参考、勉強になった。
こう云うのを大切な財産と言う。
このブログは何日にも渡って書いているまとめているのだが、
その原動力に拍車を掛けてくれる事になった。
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私自身が拍子抜けるのだが、僕は普通にバンドがしたいなと思っている。
普通にして普通の言葉だが、書いているのは私である。
僕は今迄このシーンに関わる事に関して、
故障以降も含め、何かの為に音楽をやっているようだ。
それはその時のメンバーの為だったり、喜んでくれるファンの為。
その為には邪悪にも豊穣にも秩序にも混沌にもなる。
じゃないと世界が拡がらない、新規の扉は開かない。
僕のような原初の存在はそこに原動力≒威がある。
その中でディオドヌールに加入させてもらい札幌にて和で覇を。
MELLOではそのさらに先を。果てはメジャーか。
僕はこの段階で先んじて ひととおり経験する事が出来た。
これは名刺であり、重要である。
時系列の前後も既に歌詞へ込めている。
だがその後の故障はイレギュラーだった、
私に残影を与え、心象世界に苦しんだ。
歪曲するかたちへあらがう事は望まない。
不思議なものだ。
これらは切り開かねばならない。
新しいかたちで。
こう云うニュアンス重視で難しいとされる表現を、
Twitterに書くのはTwitterの性質や人心の閉塞上、そぐわず。
Twitterはあれだけ情報が氾濫しているのに、
それらは閉塞の中の周知とその欺瞞を垣間見る。
個々の使いようなんだろう、と云う程度の話。
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今年は、随分前から考えていた構想に、
大きな周囲の兼ね合いの影響もあり、実現しなかった。
これは大きかった。だがしかし間違いではない。
逆に日野"JINO"賢二さんと知り合う事が出来た。
我ながら若干重力を超えた気がする出会いである。
そのきっかけになったAbsolute Blue(ライヴハウス)に感謝です。
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音楽で語り合う奏者もいわゆる人間である、
しかし音楽以外で語り合う部分ではそれが支障になる場合がある。
このアプローチは来年である。
やる事は決まっている。
この難儀な長文を読んでくれた方、よく気付いたね。
お疲れ様です、ありがとう。
よいお年を お迎えくださいな。
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