ゆうても負ける気しないわけで、ゆうてもですよ、ゆうても。


ゆうても負けるかもしれない気もするよね、ゆうてもだけどさ。


そんなこんなで、人より優越して生きて来て20年目、これからもせっせせっせと立て看板をこしらえて生きて行こうかと思うんですけども、少しでも興味があったらよろしくどうぞ。きっと面白いでしょう、私だから。


何故こんなにも面白いかというと、そんじょそこらのにわか仕込みのものではないんですよ、超越するというもの。知らないでしょう?


視野を広げて御覧、超越しているものなんてありますか?視野を狭めて御覧なさい、羨望の眼差しを感じませんか?狭いようで広いのです。浅いようで深い。「ようで」を意識してみればわかるかもね、悔しいし、だけどやめられなくなるかもね。悪くないかもね。損してるだなんて思ったら負けでしょう。損してるだなんて思ったら、そう思ってすらいない人をどう見ますか?地に足つけよう。


心の底から謙るようになったら駄目。そんくらいの肝っ玉見せて欲しいです。上目づかいでもいいですが、造り笑顔はあるほうがいい。造り笑顔さえにもなり得ないのなら、しわの数が足りないね、足りてません。終電で家を出てみようか。


慣れてきたら嘯きましょう、顔色を窺ってみましょう。褒めて褒めてと目を輝かせてみるといい。認めてくれて、見つけてくれて、見透かされて、諭される。顔を赤らめ、酒を煽り、顔をしかめて、目を輝かせて友人にその美談を語ることになるでしょう。毎日が自叙伝。


読むことが感情を豊かにしてくれる。先生が言うことの中で唯一正しいこと。これに気付かないならなにをしても変わりません。読まずに格好良い人はいますが、読んでいて格好悪い人なぞいません。格好つけて読むのは、悪くないけど、家で一年間続けてみる。本当に格好良くなってしまうから。カフェでもどこでも行ける。


ワインを飲んでみればいいし、懐石料理を知ったかぶればいい。知ったかぶらなきゃ知れない。


とにかく素直になれば、素直に嘘をついて素直に強がれば、まわりが世話を焼いてくれる。世話を焼いてもらっているならそれを感謝する。感謝していれば自ずと、一方通行ではいられなくなる。いつか、必ずそうなる。


とりあえず言ってみれば、得意なんだよね、作り笑い。詳しいんだよ、飲むヨーグルト。





冬の峠を過ぎるか過ぎないかの日に裸足にサンダルを突っ掛け、いつからあるかわからない、その広告としての機能に甚だ疑問を抱いてしまうようなベンチに腰掛ける。

その軋む音と遠くから聞こえる車の走る音と、白色の街灯と自動販売機の滑稽な光のみの世界。

「のみ」と語るには少しお節介な明かりが深く思考するのを妨げてくれるのが存外、有難い。散歩というには短すぎ、一服するには長すぎるこの行為を終えようと、彼は帰路に着いた。

こんな時間に煙草ばっか吸ってなにしてんの?





いやね、このもやもやも煙草の煙と一緒にでないかなってさ。





馬鹿だね、溜め息すると幸せがでちゃうって言うけど煙だなんて見るからに逃げていくようじゃない。良いものばっかりでていっちゃうわよ。





そっか、それは困った。だけど何本吸っても幸せってもんがでてくるみたい。こんなにあるなら少しくらい換気扇から世の中に配ってもいいかもな。