シャルバンティエは表面上リハビリ更生施設として知られている。あくまでも一般的にである。人口万弱のさほど大きくない町の東部、連なる山脈の麓に施設はひっそりと建っている。外観は近代様式で施設と言うよりはモダンな大学に近い。それに敷地を囲む高い塀もない。リハビリを本当に必要とする者たちが施設に入居できないとはいえ、誰も不思議がる者はいなかった。常に定員で満たされていたし、緊急の応対にも疑うべきところはなかったからである。

こうして社会的にも開かれた環境の中でシャルバンティエは町のどこよりも衛生的で、また健全であるようにすら見えた。

ただし注意深い者がいるなら施設に子を預けている親が一度たりとも姿を見せたことがないことに気づだろうし、また、時折訪れる者たちの身なりが、医療関係者ばかりか、警察関係者や政府官僚に似ていることにも気づいたはずであるそれにある者は、子供たちをつぶさに見て奇妙な感覚に襲われたに違いない。彼らは本当に子供なのか?そう自問した者もいたはずである。彼らは一様に何かが異なっている。年齢においても、性別においても、眼帯を付け、腕を吊り、松葉杖をつき、たとえ不自由な動きをしていたとしても、彼らは容姿以外の何かが異なっている。亀裂が入った断層のように、上半身と下半身、右脳と左脳、腕足の左右においてバランスを欠き、どことなく歪んでいるか、全体がアンバランスになってい。異なっているのは彼らだけではない。建物の三階以上のフロア、そして地下フロアへと降りれば、建物の色合いやデザインが健常者のものでないことに気づくことができただろうし、時間が経てば心因性の不安や恐怖呼び覚ますことになっただろう。

昨夜、マルク・チャステインが脱走したにもかかわらず、今朝施設に変わるところはなかった。騒ぎ立てる者も煽り立てる者もなく、日課は日々正確に続けられている。一人だけ懺悔室に入った者がいアーロン・ベクスターが入ったのは第二懺悔室、運動と停止の部屋だが、運動の時のアーロンは始終言語の羅列を繰り返すこととなった。

「報告はいかがいたしましょう?」

「連絡か…差し障りないように話を通しておけばよい。それよりも…」

「それよりも?」

「地球と言う環境の中で進化は現在も続いている。時に緩慢に、時に急変しながら。植物学者なら交配の先に新しい種を生み出す。近年、食糧生産の分野では多大な貢献をしている。では進化の観点で本質的に環境を変えるもの、宇宙からの衝撃や、環境汚染とは異なる、あえていうならば実験のように、我々人間の進化を促すものは何?」

「自発的なもの、ということでしょうか…」

「自発性を促すスイッチを入れるものは…」

環境と言えるのでは…」

「環境とは天然も人工もその他のものであれ自然に位置付けられるものだ。人間の手による環境破壊が近年言われ続けているが、以前の、自然の手に委ねられていたときの環境進化の母体とでも呼ぶなら、その環境を実験のように用いて進化を促して来たものは万物の父であろう。こういうと地球に人間のような知性が備わっているのか、と思う者もいるだろう。それに変化の時間が世紀を超える長さだとも。しかしだ。知性あるものは生と死の時間感覚を持っている。とすれば、地球の一生の中で世紀を超えた時間などというのは、ほんの数日かもしれない。いや、数時間かもしれない。知性によって時間の捉え方変わるだろうし、モルモットでさえアウシュビッツの囚人のように神に願っているかもしれない。実験とは非情なものだ。人間より沿ってない。君は私の後を継ぐ者。ここで行なわれていることの成果を期待するなら、政府からの援助を利用する餌を与えなければならない。それにはあらゆることを利用すべきなのだ。そのことを肝に銘じなければならない」

「政府関係者には博士のことを、その…」

「マッドサイエンティストかね。それは大いにあり得る。そうだったいいと私も思う。ただ近年、人間の天敵ともいえる病気、それも遺伝子の病は増加の一途を辿っていることもしっているであろう」

「国籍。人種、地域に限らず蔓延しています」

「そうだね。この遺伝子の病とは、先祖からの遺伝だろうか?両親も、その両親も正常だったにも関わらずに突然発症する。これは時限式かね。それとも食物の変化。薬、サプリメント、食料の遺伝子操作、それらの複合的作用かね。あるいは、まさしく進化に関わる病なのかね。もし誰かが環境の変化だというなら、地球環境は見通せる範囲で、そして見通せない範囲で、見えない部分も含めて大きく変わろうとしている。実験がそうであるように成果を得る前には多くの犠牲を伴う試行錯誤がある。犠牲を限りなく少なくすることその変化の成果、進化の答えを知ること、それこそが何よりも優先される。今では全人類の半数近くに遺伝子の病が見つかっている。もちろん顕在しているかどうかは別として、今後さらに、ともすれば加速度的に増えることになるかもしれない。その数が法則数を超えた時進化は新たな種みだすことだろう。その種は人類にとって希望となる?それとも終焉となるのか…」

「神のみぞ知る。です…」

「いや、私たちが知る。そうでなくては困る」

「神の領域を侵すことになるのでは…」

「知性とは常にそういうものだ。それはこれまでの価値観、知性の意味が変わる先駆けになる」

「ならば博士。政府はなぜ世界生体安全維持機構(WBSO)を作ったのでしょう?」

「当然彼らには彼らの胸算用がある。問題は国家的医療費の予算にある。ここ数年、各国とも膨れ上がっている。軍事費を含め、国家そのものの維持を脅かす存在になりつつある」

そうです。新たな戦争のきっかけになるかもしれません

確かに緊迫しつつある進化として見るなら人間の時間で判断することはでき。科学者のジレンマは、予測を立てつつ、予測の結果を生きている間に確かめることができないかもしれないということだ。意志を継ぐ者が必要だ。君がそうであることを願っている。医学生、ガブリエル・ワトソンくん」

ガブリエル・ワトソンは全面ガラス張りの大きな窓に近づいた。斜面に沿って広がる深い針葉樹の針先の向こうに裸の岩山が見える。その頂の向こうにはセント・ゴートの町と大西洋の大海原が広がっている。ミゼルはセント・ゴートの町にいる。町にシャルバンティエの第二施設内がある。しかし施設にシャルバンティエの名は使われていない。施設に並立するアムニス水族館の名で知られている。水族館を隠れ蓑に、施設は海洋微生物と気候の相関関係、そして大気ホルモンの濃度を調べている。先頃発見された地球のホルモン、海神にちなんでネプトゥーヌスホルモン(N‐ホルモン)と名付けられたが、その性質も働きまだわかっていない。

アムニスの施設内には海と繋がる水槽がある。ミゼルはその水槽のに入る。そして深い海の声に耳を澄ます。海の吐息が大気を通して伝播していくさまに語りかける。ミゼルの記憶は少しずつ失せ、海の記憶を取り戻す。

ミゼルはそのようにつくられた。

「全生物は海を含んだスポンジのようなもの。特に哺乳類の雌は子宮に海をつくる。より海の比重が高いと言える。進化のコードは海と、海の記憶に隠されている」

 

 

 …つづく