僕は地球の楽器です。耳は僕の胎児です

みんなの声が聴きたいです』

フェリ(クス)の短い短冊はいなくなった今も壁に貼られている。ただ不思議なことにそんな記憶がないといい出した。そんな短冊を書いたことなないと。

フェリは施設にも、仲間にも、社会にも、馴染めなかったが、何かとてもキラキラした、キラキラといっても昼のそれではなく、夜に瞬く星のキラキラに似儚く溢れるものを内に持っていた。僕にはそれが見える。でも、そ以上に他の人とは異なる能力を持っていたし、違うものが見えていたのだと思う。

フェリがここシャルバンティエの施設いる理由を僕は知らない。僕が来た理由は知っている。僕は野蛮だといわれている。自分をコントロールできないと。僕の名はマルクだ。マルク・チャステイン。僕の中には僕自身が三人いる。

二人ならまだいいが三人となると少々厄介で危険だと先生はう。もっと多くの「私」を持つ者もいるとね。だけど多すぎてもいけない。本当は三人と答えてはいたがもっと多くいる。口にチャック。それは秘密だ。

三人の中にさらに三人いて、その三人にも二人か三人いるような気がする。もしそれが続いていたらどうなる?深層心理には無数の自分がいる。先生の話によればその一人がマルクらしいが、僕の中のことまでは先生も知らない

僕の中の他人のことを母さんはこうっていた。

わたしが産めなかった子がお前の中にいるのよと。

だから僕の中にはこの世界に生まれてこなかった兄弟が住んでいる。フェリに言わせれば、世界の現実はダイヤモンドカットなのだそうだ。

それはこうだ。

世界が何面持っているのかわからないが、光はほんの少しのズレでも可能性の次元を一瞬にして決めてしまうというもの僕は少々笑ってしまったフェリは可能性がただ一つだったわけでも、消え去ったわけでもないという。現実にならなかった可能性の余韻は今も残されているし、可能性の多次元から何かを伝えられているのかもしれない博士のように語ることがある

マルクはさ。それが聴こえているんだと思う、とみんなの短冊を見上げてう。

『僕は糸を吐く。僕は捕食する。僕の中に蜘蛛がいます。僕は青い世界の魚になりたい。でも僕が泳ぐのは電波の海です。』

短冊に僕はそう書いた。ひと言だって何か聴こえるなんて書きもしない。でもフェリは聴こえているといった。

フェリ!それは当たっている。その意味に気づいたのはこの頃だ。

「それよりもだよ。僕もフェリもどうしてここにいるのかな」と誤魔化すみたいに訊ねると「それが、問題」とフェリはおどけて答えたが、僕の問題はやっぱり自分の中にあった。に住んでいるのは、男の子だったのか?女の子だったのか?なんともいえないが、どっちもアリだと思う。

なぜって、僕がフェリにキラキラしたものを感じるとき、フェリがホントに好きだと感じる。普段は友だちなのに、その時ばかりはフェリが恋人になったような気がする。恋人といってもそれがどんなものなのかは知らないが、恋愛小説を読んでたぶんこんな感じなのだろうと思う。それは、きっと、自分の中に女の子が住んでいるからだなのだ。生まれてこなかった別な次元に住んでいる妹だ。僕の中に妹が出てくるときは、決まってフェリは神童になっている。誰に習ったこともないのにピアノが上手に弾ける。先生は手を叩いて感嘆し、誰かの生まれ変わりかもしれないとった。

でもね、先生。

フェリが生まれ変わったとしたらあいつらのせい?

それにこんな施設にいることをフェリは望むだろうか?

みんなの声なんて支離滅裂だよ。フェリという楽器はあいつらの治験で都合よく響いているだけさ。いわばフェリの抵抗。

誰も気づかない。誰も聴こうとしない。孤独の楽器。

フェリの短冊を見るといつも悲しくなるだからダイヤモンドカットの話を聞いて僕は納得してしまった。人は各々自分で受け止め、それぞれに跳ね返している。フェリはそれが美しいことなんだという。僕はそうは思わない。

そう思えるフェリこそが不思議で美しい。フェリといると、自分のことよりもフェリとは何者なんだろうと思う。僕の中の妹はフェリを信奉している。ミゼルだってそうだ。

フェリは人の中には多くの種があるという。それは僕の中に住む私たちも同じで、何かをきっかけに発芽することがあるといった僕が発芽したらどんなんだろう?ミゼルは好ましく発芽した。女の子発芽して花が咲く頃になるととてもキレイになる。ミゼルがそうだ。ミゼルは僕に優しかった。僕はミゼルを気に入った。妹もそうだった。あるときこういったことがある。

フェリは何かを待っている。私に近づいてくるものかも知れない。

ミゼルに近づくものって誰?そう訊くと、それは人じゃあないの。歴史を伝承するもの。フェリは答えを知りたがってる。何の答えさ。当然そう訊いた。

答えは答え。生きている理由。生きてていいのかどうか。

うん。わかる。

僕の内部でそう答えたのは妹だったが、僕にはわからない。けどミゼルは信じたい。ミゼルに近づいて来るものが何であれ、僕はミゼルを守りたい。

そんな矢先ミゼルの姿を見かけなくなった。気づいたのはフェリだ。シャルパンティエには席があるのも関わらずミゼルを見かけることはなくなった。

秋の新年度が始まると突然ミゼルの卒業が決まり、僕たちは大ホールでミゼルを送り出した。形だけだ。ミゼルはいないのだから。

ある日フェリがノートに挟めてあったといってミゼルの手紙、それもホンの数行の走り書きを持ってきたのはすでにミゼルが卒業した後だった。それもそのはず、誰も借りることはない図書館の書籍に挟まっていた。たぶん想像するに部屋だと見つかると考えたからに違いない。

書籍のタイトルはヘンリー・ハワード著『胎内の地球』というものだ。

 

フェリ。もうすぐミゼルはいなくなる。私からミゼルが消えていく。どこへ行くのかわからない。でも、消えていく。怖いよ、フェリ。

マルク。にぎやかな兄弟によろしく。マルクなら一人くらいいなくなっても、別なマルクがそこにいるんでしょうね。

フェリ。私がいなくなったら、私好きだったカノンを弾いて。お願い

音楽は私がミゼルだった頃の時間そのものだから…」

 

手紙を読み上げた時、フェリの目に涙が湧き上がった

いままだフェリの涙なんか見たことがなかったから、声もかけられずにただ驚いた。フェリは「共鳴だよ」と言った後、「世界の輪郭も、色も、ミゼルの時間も、何もかもが僕の皮膚をふるわして満ちてる、潮が…存在の海が」と身体を震わした。フェリはピアノの前に行くと沈んだタッチでカノンを弾いた。

その時、僕はなぜだかミゼルが描いた絵を思い出した。夢中で描いたそれは。

ゴッホのタッチに似た黄色と明け茶で描かれた背の高い向日葵、足元に飛び交うルドベキアの群生、空一面が薄い金糸雀色で、その後ろにうっすらと見えるもの、雲が窓となって別世界を覗くように、淡い縁取りの奥に菫色の夜空が広がっているのが分かった時の驚き、絵の中には昼と夜が一緒に混在し、夜に時を移すとルドベキアが緑の宇宙に浮かぶ銀河に見える。

絵の魔術…今も変わりつつある色…ミゼルは…何を思って描いたのだろう…

 

 

 

  …つづく