下校時、校門に向かっていると夏音と珠理が何か話し合っていた。言い合っていたのかもしれない。夏音はどうしたのという程度で相手にしていない様子。

「隼世。チエシャ猫の道を道をかえらない」

突然隼世を見つけた夏音が声を掛けてきた。珠理の方を見ると明らかに困ったように隼世を見返してくる。

夏音はすぐに近づいてくると「大丈夫。もう終わったから」と続けた。

「行こう」と隼世を急かしている。

隼世は頭を下げ夏音と一緒に北門を目指した。その後珠理に演劇部部長である人見八重子が近づいてきたことは気づかなかった。

「何かあった。村岡さんはいいの」

「いいの」

隼世はこんな風に自分を誘ってくれる夏音にも、その生い立ちにも興味が湧いてきていたおかげで断る理由がなかった。それでも気になることがある。

「思ったんだけど。槇村って自転車で来てなかった」

「そう。気づいててくれたんだ」

「今日もそう」

「そう」

「だったら取りに戻ろうか」

「隼世と話し終わったら取りに来てるよ」

「わざわざ学校まで」

「わざわざ学校まで」いたずらっぽくそう言うとこう続けた。

「演劇部はまだやってるの。それから出席してもいい。ところで今年の発表会のシナリオって何かない。宮澤賢治でやろうとか出てるけど賢治はダメだよ」

「賢治かぁ。いいんじゃない」

「賢治は独りで読むからいいんだよ」

「うん。それは分かるな。小学三年のときだったかな、最初に呼んだのがよだかの星。それから読み漁った。ケンジは石っこケンさんって言われるくらい石が好きだったらしい。多くの作品に石が出てくる。例えば……」

脳裏で何度も巡らせた一節を朗読した。

“玉は赤や黄の焔をあげてせはしくせはしく燃えてゐるやうに見えますが、実はやはり冷たく美しく澄んでゐるのです”(貝の火)

「ぞくぞくする美しさがあると思った。これってなんだかわかる」

 

隼世はそう尋ねながら問題児だった小学生の頃を思い出した。あるとき『石になりたい』という作文を書いて読み上げたことがあった。

たぶんこんな話だった。

『ぼくがなりたいのは石です。

そのへんの道に落ちているものでも、川原にあるものでも、なんでもいいです。

赤道の下でも、砂漠でも、南極でも、月でも、火星の石でも。どこにあろうと石は石です。生い立ちはいろいろでも石同士に差別はありません。石は言葉を話さないからです。石は人間よりずっと長く生きます。

生き物は死んだら火葬されます。石はずっとあります。

生き物は化石のようなってからようやく石の仲間になります。

よけいなことをしないし、とげとげしいことばもそぶりもありません。

そこにあること。それが石のぜんぶで、もしかしたら、想像ですが、見たり聞いたりすることができるのかもしれません。

だとしたら、人間のように現実に追い立てられてあれこれ考えるようなことはしないだろうし、もっと長い時間で石は自分を見ています。

忍耐強く、沈黙し、石は耳をそばだてて聞いています。

ぼくたちが立てる音、それに地球が立てる音に耳をすましているのです。

それはつまり。石は星の細胞の一部だと思います。

そんな石になるのがぼくの夢です。』

思い出しても内心笑える。でも担任も困っただろうなと今では思う。

後々担任はこう諭してきたからだ。

「石は生きていないんだよ」と。

「地球は生きていないんですか?」と僕は聞いた。

「人間からはがれ落ちたり、取れたりする、爪や髪の毛は生きていないんですか?」と。

想像がすぎる生徒だと思ったのだろう。今度は外から攻めてきた。

「石のことを調べる鉱物学者もいいね」と言う。

でも、鉱物じゃあダメだ。鉱物は人間が調査したり、必要とするものだから。

しばしの、すったもんだがあって、かあさんが育てている花の話になった。

花の歯車は季節と噛み合っていて、季節外れの花を咲かせるということもあるが、普通は季節の中に自分を全うする。

「だから花も好きだ」と言うと、先生はくいついてきた。

「そう。それだよ」

石から植物へと話題は移り、植物を扱う園芸家になったとき、担任は進化の秘密を発見した研究者のように破顔し、甲高い笑い声を上げた。

「石も細かく砕かれ、土になって植物を育てる。地球の上で循環している。隼世。お前はそうした仕事に興味があったんじゃないのか。だったら園芸家だ。素晴らしい夢じゃあないか。園芸家は時に環境問題や、都市のエコデザインにも参加しているんだぞ。隼世は環境の未来を考える人になるかもしれないな」

そうかもしれないが…石は土にはならない。

人は何かを理解する前に、勝手に意味を変えるのだ、とその時思った。

僕の名前は立石隼世。苗字にも石が入っている。母方の苗字だが。

その時、担任の意見を汲んで書き直したのは、面倒臭くなったからで意見を曲げたからではない。

 

「何だろう。美しい文章だね。石を言っているんだろうけど、私には何の石か分からない。何?」

「オパール!」隼世は手のひらにあるその石を差し出すかのように言った。

「オパールって宝石の?へーっ透かしてみたい。ホントにそんなふうに見えるのかな」

想像力もあると思うけど、石を感じ想像することができるってすごいよ」

「石といってもオパールだったらもう宝石でしょ。普通の石とは違うよ」

「それって人の勝手な分類だぜ。どちらも同じ地球の石だ」

「じゃあ宝石ってどうやってできるの。知ってる」

「宝石にはだいたい二種類あって、オパールやトルコ石なんは川砂利のようなところに重たい鉱物が沈殿して押し固められたそれこそ年月の結晶ともいうべき堆積物から生まれる貴重な石。もう一つはマグマが冷却すると鉱物が生まれるだろう。その過程で原子が一定のパターンに配列されたものがカーネットやルビーのような宝石になる。ダイヤモンドなんかはさらに高温と圧力の中から生まれる。想像してみればすごいことなんだ。本当はさ……」

本当は石でも……

「本当は何?」

「本当は石は石でも…笑うなよ!宝石のようになりたい。価値とかじゃなくてさ、もっと洗練されて凝縮されたものが宝石なんだ。本当はそんな宝石になりたい。自然の物質は92種類の元素と原子とで構成されてる。石も人間も同じ。生成にはイオンが関係してる。プラスとマイナスの電荷があって…ほら、学生服のボタンと同んなじ。一個多かったり、一個少なかったり、それが二個や三個もあったりして、お互いの電荷、ボタンのやりとりで結びつく。これって物質にも卒業式があったり、恋愛があったりするのかもしれないって、そんなふうに思えたらさ、ますます石の結晶が好きになった……」

「私と隼世も人としてボタンがたりないのかな?それとも多いのかな?」

「は………」

「石は地球の細胞だって言ったよね。だったら宝石は地球の化石じゃない」

スーッと体の中が澄んで風が吹くと、流れる川が、石が、木々が、山が、ざわざわざわと言葉となって押し寄せてくるのを感じた

「マグマの熱とか、圧力とか、摩擦とかを過ぎて宝石になるなら、それは生きものが経験する時間の長さ、化石と同じことだよ。わたしにはそう思える」

の言葉に隼世はハッとした。こんな言葉にいつか出会うような気がしていたから、冷水を浴びたように目を見開いた。

まだまだ未知はいっぱいある。槇村は自分に欠けていたその一つを届けてくれたんだ。ふとそんな気になった。

夕暮れの陰りさえも生きもののように動き始める時刻川風がそうそうと吹いてゆく中に僕らは存在した。川の勢いを、刻々と影を伸ばす土手の灌木を、ちょっと離れたところで川を眺める槇村を隼世は見ていた。

一瞬動かぬモノとなった僕らを、今日の夕陽は二個の物体と見たのだろうか。その影と見たのだろうか。影ならば、

自分より西側に陣取った槇村の影が隼世ごと取り込んで東の街へ、その向こうの鶴姫山へと運んでいくのだ。

「ねえ、隼世はこれまで好きな娘とかいたの」

その時突然槇村が訊いてきた。あたふたこそしなかったが色々な偏差値が重宝される時代、少し言い過ぎたかなと思った。

「分かんないな。男にしろ女にしろ、石好きにしたら人間はみな骸骨、正体がそれだと思うと何に好ましく思うのか、何を嫌悪するのか、すべてが世迷い言のように思えるよ」

「世迷い言かー。なるほどー。隼世は隼世だね」

槇村は河原へ向かって走り出した。そして、

ケビン・ヘンクスの『夏の丘、石のことば』読んだことある」

と訊いてきた。

…うん。確か、読んだような気がする」

「やっぱり。タイトルに石のことば、なんてついてるからそんな気がした」

「たまたまだよ。あんまし記憶ないけどな」

「小石もいっぱーい。私たちも書かない」

「石で言葉を…物語りのように。あの物語って内向的な少年と、偏屈な少女の話だったよね」

「アハハハ。内向的な少年と偏屈な少女ってさ。なんか似てない?」

槇村の指先が二人の間を行き来した。

 

 

 …つづく