一、ゆく河の流れは 

夜空の星がある日見えなくなるように、たぶん私が見失っただけで星はまだそこにあるのかもしれないが、友人だった前田星(あかり)は亡くなった。人間の星は写真とスマホ、思い出の中だけに存在するまぼろしとなってしまった。

星が亡くなったのはどうしようもない車の多重事故だった。

信号機のある十字路でそれは起きたが考えて見れば私にもその責任の一端はある。なぜならあの時刻私は星と携帯で話をしていたからだ。高揚した星の声が今も耳元で鳴っている。

星の声だけではない。車の衝突する音も、叫び声も、星の手を離れた携帯が地面にしたたかに打ち付けられ最後にはブンと消えていったすべてを私はその場で聞いていたのだから。

事故は痛ましいものだった。二人が亡くなり、六人が重軽傷を負っていた。

星が亡くなったのは私と話をしていたからだろうか。その思いに私は縛られるようになった。夢中に話をしていなければ気づけたかもしれない。星は敏捷でスポーツも得意だった。今考えればつまらない話の内容をどうしてあんなに楽しく感じたのか、私の頭の中から消すことができない。

命とは何だろう?

一日一日人は確実に亡くなっていく。様々な事故で戦争で、殺人や事件に巻き込まれて、病気で、死は必然なんだけど、誰にでも起きうることだけど、なぜか予期せぬ姿で出現する。そして私に問うてくる。

死ぬって何だろう。

生きるって何だろう。

 

生きるということ

朝、目が覚めるということ

箸を手にするということ ご飯を食べるということ

大小便をするということ 星を思い出すこと

制服に手を通すということ ヘルメットを手にして自転車に乗るということ

教育という洗脳を受けること 似た者同士でグループを作るということ

けだるさで保健室に通うこと 今日が早く終わればいいと思うこと

「さよなら」と学校に別れを告げ今日を葬ること 

明日が来なければいいと思うこと

今日が終わればいいと思うこと

生きるということ

考えがぐちゃぐちゃになること

何が辛いか分からないのに疲労のように辛いが溜まること

生きること それは

心を分からないままにしておくこと

 

『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人とすみかと、またかくのごとし。』

 

『方丈記』の一説だ。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。とあるが生もまた久しくはとどまらない。生がよどみに浮かぶうたかたならならば生きるとはなんだろう。

うたかたならば勉学することも。友人を作ることも、目標を掲げることもないありのままだ。

この世界に存在したことがゴールで何かをなそうとすることもない。

人間の向上心や努力に素晴らしさはあるのだろうか。

星のように人は必ず死ぬ。死に際もまた誰にとっても同じだ。

差別も優劣もなく火は死ぬ。そうしたことを考えるのは残された誰かだ。

本人にとってはどうなのだろう。死をどう感じるのだろう。

ほんとうに生きるということはどういうことなのだろう。

 

私には育ての親がいる。生みの親は亡くなったそうだ。

私は育ての親に健全に守られて来た。その恩義というか愛情というか、私には分からないものだけど感謝していることだけは偽らざる事実だ。でもどうしたらいいか今のところ分からない。

 

 

 やめろっ!

そう何度も叫んだ。声が出ていたかどうかわからない。部屋にはあばれる父の大音が響いていたし、僕は部屋の隅で震えながら丸まっていたから。

視野いっぱいに父と母の映像が映る。

壁のような父の背中が母さんに覆いかぶさっている。金をせびりにきたのだ。

なのに僕には何もできない。体のあちこちが叫んでいる。

熱くジンジンとする痛みは体の奥へ入り込み、痛みは冷たい怯えと僕の手足を震わしている。何だろうこの痛みは?母の痛みも混じっているのだろうか。

自分の無力とこの理不尽さに胸が潰れる。嗚咽だけが僕の気持ちをくんでいた。

僕に何が出来ただろう。何もできやしない。何ができるというのだろう。

テーブルの下に袋がある。空になった袋…母さんが持ち帰った給料袋。

袋の中は空だ。僕との生活費が今父のズボンの中にある。

どうして。どうして。

声を上げようとするがその声が出ない。声も空だ。父の暴力が盗んでいった。

どうしよう。どうしよう。

母さん!どうしよう

 

月の和古川(かこがわ)は水かさも十分で、新緑を映した水が上流から下流へ向かって勢いよく流れている。

見ていると眩暈に似た錯覚が起る。上っているのか、下っているのか。上っていっては過去のことが錆色の血と共に蘇ってくる。

今度はすうーっと下る。すると記憶や言葉も流れていって(本当に?)、何だかこのままだんだんと川と共に消えていきそうな気がする

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」

紀貫之。方上記の一説は過去にがんじがらめの心を癒してくれた。思い返す度に沸騰しかける心をいつも冷ましてくれた。

いつか冷静に過去にも、今にも向き合えるのだろうか?

傷は過去のものになるのだろうか。

 

槇村夏音は校門を出ると自転車を引いて和古川に架かったしずく橋へと向かった。積極的に死に向かうことは問題を解決したことにはならない。

それは逃げたということにしか感じられなかった。そもそも生きる理由はなんだろう。なぜ生きるのだろう。

しずく橋が近づいてきた。現実に橋を渡るということ。しかし、だ。

私は私だけの橋といつどこで出会うのだろうそんな思いが後を引く。

そして橋の中ほどに少年が一人、魅せられたように川を覗き込んでいるのが見えた。

 

 

 

  …つづく