クラークとキューブリックの「2001年」はとうに過ぎ、さらには「2010年」も過ぎてしまった。

また理論物理が解き明かす究極の粒子なども発見される折りにも関わらず身近に潜む未知なるものは未だ謎に包まれている。

その謎のひとつがつい先頃に解けたのだが、その意味するところはやはり謎のままで何らかの現象とは思えるがその現象を起こしたもの、すなわち原因となると一考にわからない。おそらく「2001年」に描かれた類人猿のごとくおそるおそる手をモノリスに伸ばして言及しているつもりでも「人の心性とは皆目わからぬ」とは文学部から銀行員になったKの兄貴の言葉である。ただ……

その日のことはよく記憶している。

とても暑い日だったにも関わらず、ひやりとした蛇の肌のおぞましさに縮み上がり、後後クンダリーニという蛇の力が背中を這い上りぼくらの意識のチャクラをふるふると水車のように回したのではないか、などとも考えた。

もしそのチャクラが未来を覗き込んだとしたら……

その未来が過去を覗き込んでいたとしたら……

 

話は一気に二十年という歳月を飛び越え、またもや暑い夏の日のこと、死亡通知を飛び越えて葬儀の連絡を受けたのはまさに青天の霹靂だった。当時の仲間たちは順風満帆に航海を渡っているとぼくは信じていたからだ。

 

その日、葬儀の当日、早めに葬儀場に着いていたKが血相を変えて駆け寄って来たことにはじまる。

あいつがいたよ。と彼は枯れた声を絞り出した。ぼくは当時の仲間二人と待ち合わせて三人で到着したのだが、Kの様子にどうしても連想のひとつも出てこず、その深刻そうな姿がまた可笑しく、どうした借金取りとでも鉢合わせしたか、などと馬鹿にしていたのは、今日が早世したマドンナの葬儀だったからだ。

五年前仲間と会ったときは元気にしていたのに。と五年前のことが思い出される。一番早く結婚しそうなマドンナが独身だったことに驚き、その変わらぬ美しさと体型に驚き、ぼくの血は急に温度を上昇させた。過去が心臓の激しいリズムとともに蘇ってきた。恐怖の疾走の時に、マドンナと時空を共有していたことが記憶の大半を占めていたから。

だからKに引き連れられて葬儀場の中へ、そして祭壇に飾られた遺影を前にしたとき、ぼくら三人はフリーズシしてしまった。というのもなんということだろう。亡くなった汐里、かつてのマドンナのやつれた姿は忍びなく、それでも笑顔で自分を支えている心情が痛々しく、何よりもその相反と矛盾に満ちた表情、それこそは正に忘れもしないあの日、熊野の境内から沢を抜ける先までぼくらを追ってきた魔物、写真に写りこんだ当ものにほかならなかった。とぼくらは直感した。

葬儀が始まり遺影の写真について、人生を前向きに頑張ろうとしていた姿を最後のメッセージとして使いたい、との趣旨を聞かされたが、汐里は二十年前のあの写真のことを思い出したのだろうか?そうだとしたら……

きっとこれはぼくたちへのメッセージなのだ。

今見ると写真の汐里の表情には孤独を忍ぶ深いさみしさを覚える。彼女自身を除く六人の誰もが彼女の病気のことを知らなかった。彼女が誰にも知らせたくなかったということもあるのだろうが、あの日ぼくらを追ってきたものがただただ恐ろしいばかりなのではなく、彼女の背後には孤独という更に恐ろしい追っ手が隠れていたことを今になってはじめて気づいたのである。いや、ひしひしと気付かされるのだ。

どこか予言めいている未来であるとはいえ追いかけて来る者が未来の汐里と知っていたなら、ぼくらはどうしただろうと思ってしまう。写真はお寺で御祓いの後処分したが、この日、それも葬儀の当日に、仲間の誰もが社に現れた霊が汐里であることを信じて疑わなかった。

思えばあの時、七人の感覚を全員で共有し合ったような、お互いがもっと大きなものの細胞となったような、バラバラだった呼吸が一つとなってその場が呼吸をしているような、そんな気分に襲われた。まるで世界が戦慄に満ちた素晴らしい生き物に化して、密になったその場の空間が全員の思いで充溢していた。森の木々を流れる水の音が谷川よりも細くそれでいて仲間の血流の音のように聞こえ、濃い闇は髪の毛の先でちりちりと静電すると皮膚を産毛ごとひりひりとなぞった。その頂点で彼女が現れた。

社の裏手から立ち込める靄の塊のように音もなく、ぬるりと蛇の舌のように現実をなぞると異界からの摩擦が発火して大気に白い炎を放った。

ぼくらは本能的に異界の火から逃げ出していた。霊のありありとした存在感はぼくらの内側に入り込んで急激に膨らみ、その実像は社の柱や床が透き通って見えるほど微かなのに、その息遣いは耳元て聞こえた。ぼくらの勇気が試されたのは二つのカメラのシャッター音だった。しかしそれは同時にスタートの号砲となり、ぼくらは来た道を逃げ帰ることになった。細い沢の道を一列になって懸命に走ったが、七人全員が沢の上に、つまり自分の真横に追ってくる異界の者の姿を見ていた。沢を離れ森から抜けるまで暗い森の闇の中をずっとそれは付いてきた。森を抜けると未だ暮れていなかった薄暮の空が開け、真夜中から夕暮れへの時刻へと時間を走り戻った感に打たれたが体は軽くなっていた。その出来事が幻想ではなく現実を告げたのはぼくらの会話だけではない。後日、二枚の写真をぼくらは穴があくほど見つめ語り合った。そしてお祓いの後には口を固く閉ざした。写真もろとも封印したのである。でも、あれが汐里だったら

汐里はとんな気持ちでぼくらの前に、それも自分の前に現れてきたのだろう?

そう思いを馳せるに、最後の心の支えとなるものが思い出にあったのではないか、それもぼくらの過ごした三年に渡る夏にあったのではないかと思わざるを得ない。

それはただの推測だが、仲の良かった女子二人は涙を流して遺影を見上げ、ぼくら四人は若かしり頃の汐里を思い出して落胆した。四人ともぼくらのマドンナだった汐里に秘かな恋心を抱いていた。しかし汐里は未来で病気と戦い、孤独の中であの夏の日を何度も思ったに違いない。

過去が現在であった時、ぼくら七人の仲間は夢や希望に溢れ、学生生活を共に乗り切った。数々の思い出と共に。

汐里の空蝉は時を超えてぼくらの記憶に自分の姿を刻印したのだ。

その理由は尋ねるべきものではない。

現象の意味は汐里という命が確かに存在したこと。

それだけでいい。

葬儀が終わる頃の汐里は不思議に穏やかに見えた。したためた無言のメッセージが伝わったかのように温和な表情に変化していた。

汐里は二十年前の過去で、あの場所でずっと、ぼくらに今日探し出されることを待っていたのだ。

 

 

 

 

  …おわり