…ごようのないものとおしゃせぬ~
…のみたまの願かけに~
…おふだをおさめにまいります~…
三日が過ぎた。
以前として圭太には連絡が取れないでいる。静河からはなんの返事もない。
サークルの仲間にも尋ね回ったが誰も知らない。気にはしているようだが鏡子の名を出すとどこかとおじけづく。あんまりかかわらない方がいいよ。と言われるとますます鏡子という存在が暗い影を帯びていく。
そんな中、大学の校門先でスーツ姿の男性二人に声をかけられた。
昼過ぎである。大学に入ろうとしていたらしく、大学から出ようとする未知に気づいて戻ってきたかたちである。
「紅林未知さんですか?」と言う。
ふり返った先に父親ほどの年齢と思われる男性がいる。一歩下がった後ろには三十代くらいだろうか、手に写真を持っている。
「突然驚かしましたかな。私は下利剛志(くだりつよし)。こういうもんですわ」
下利は手の平を開いて見せた。なぜ私のもとに警察が…冷静を保とうと確かめる余裕すらなかった。下利はおっとりと後ろの警官をふり返る。
「こっちは…」
「下利さんと同じ課の舩木純也(ふなぎじゅんや)といいます」
帰るのであれば少々戸鞠圭太について聞きたいことがあるという。
「圭太…圭太が何か」
頭で閃いたことが目に現われていたらしい。年配の刑事が訝しそうにこっちを見た。
「家族からここ数日連絡が取れないと、行方不明の届け出がありましてね」
やっぱり。と思った。家族も行方がわからないとなると…
「尋ねたいのは圭太のことですか?だったら私にもわかりません。私も知りたいです。同じサークルですから連絡は取っているんですが何も連絡ありません」
ついつい早口になる。それを見てか下利が笑みを浮かべる。
「まあまあ。そうだろうとは思いますよ。私たちが訊きたいのは圭太さんと最後に会ったのはあなたとお聞きしたんでね」
でもこれは何かおかしい。圭太を捜しに刑事が出向くなんて、それとも事件なの。若い刑事、確か舩木とかいった刑事が新たな名を告げる。
「鳥場鏡子さんについてはどうです。なにかご存じですか」
鏡子のことも捜している?なに、なに…どういうこと。
教室での出来事が未知の脳裏に蘇ってくる。
「知っていることがあったら話してくれませんか」
「あ、あのう。何があったんです?鏡子さんが何か…」
未知の警戒心に気づいたのか。それとも奥に閉じ込めたものの臭いに感づいたのか、下利は大業に片手をかざした。
「実は今朝方白骨化した死体がN県境で発見されましてね。持ち物から鳥場鏡子さんではないかと疑われています。目下検視中ですが、状況から間違いないと我々はみてます」
下利はわざとここて話を切り、未知の動揺を探っているように思えた。
「ただ、…どうでしょうね。話を訊いていくうちに鏡子さんが先日まで生きていたという証言を得ましたからびっくりですわな。
そしてもうひとつ。仲が良かった戸鞠圭太さんに出ている届け出ですね。まだなんにもわかってないんですがね。警察としてはこのふたつを結びつけて考えているわけです」
白骨化?鏡子の死体?未知の意識はぐるぐると洗濯槽のようの渦をまいた。死んだ…白骨…県境…幸せ…センジュフダ…これは何?言葉が出ない。
「大丈夫ですか?」
「中込雅人くんは」
ようやく絞りだした言葉に、刑事たちは不意を突かれたように見えた。
「中込雅人?その人は誰です?」
「圭太くんとも鏡子さんとも親しいはずです。それに圭太の前のことですよ。やっぱり連絡が取れなくなって気にしていました」
「おい。中込雅人という名前を聞いたか?」
それからも色々尋ねられた。知っていることも少ない未知は同じことをくり返すばかりだった。戸鞠圭太は身内が捜していたが中込雅人の方はどうなのだろう。身内が少ない。といってもすでに一週間。気にならないはずはないと思うのだが。雅人の方から疎遠になっていたとか…未知は雅人の印象を目まぐるしく思い出していた。
そして考えたくもない一つの道筋を思い浮かべる。
鏡子が教室を後にしたあの日、雅人は鏡子を追っていったのだろうと。
昼過ぎの表通りは混雑するほどではないが人が多い。人は多いが一人で取り残された存在こそが未知だった。
背筋を冷たい蛇がするすると駆け上ってきた。
気づくと携帯を手にしている。無意識に静河の番号を選んでいた。そのまま連絡を入れてみたが通じない。圏外と出ていたが何処にいるのだろう。
預けたままのセンジュフダが気になった。
携帯を手にしたまま寝付かれない夜を過ごした。
連絡が取れないとしりつつも、圭太と雅人に連絡を入れてみるが何の反応もない。三時過ぎだろうか突然携帯が歌い出した。
『とおらんセ とおらんセ~
…ごようのないものとおしゃせぬ~
…わたしのみたまの願かけにおふだをおさめにまいります~…』
なに。なに…なんなの。
歌を止めようと携帯を持つと画面にそれが見えた。
着信『鳥場鏡子』と。
えっ。どうして…
ああ~貧血だろうか。未知は底知れぬくら~い場所へ降りていった。
気づけば夜中、前後は暗い闇に隠れている。かろうじて足下周辺がぼんやりと明るい。それでも自分の足は見えない。未知を見下ろす木立の影がゆらゆらと水草のように揺れると漆黒の煤をふりまいている。煤は未知を包み込む。包み込んで闇に同化させようとする。私は暗い森となる…
ダメだ。ダメッ。嫌だ嫌だと両手で煤を振り払いながら、振り払って先を見ようとした。
「ここはどこー」
未知の焦りとは裏腹に見られているような気配を空中に感じる。
そればかりではない。ふふふ、と空中で笑い声が起きた。
おぞましい。冷たい手が背中にピタリと張り付いたよう。
きょろきょろと辺りを見回すとずっと上の方にぼんやりと明るい場所がある。あれって何だろう。正体を確かめようとする未知には幹と屋根らしきものに見えた。建物だ。人がいる。未知の足が急斜面を駆け上がった。
ここは山道だ。
数歩駆け登った時だった。ビクッと未知はその場に立ち止まった。
つんざくような叫び声が上がったのだ。叫び声は木立に木霊して森中が絶叫を上げたように響いた。その時だった。建物から飛び出してくる白いものが見えた。白いものは真っすぐこちらへ向かってくる。はっきりとは見えないが尋常ならざるものを感じる。咄嗟に木の裏に隠れた。そっと顔を出し覗くと白いものの姿が明瞭になってくる。人だ!
その顔が見えると慌てて口を塞いだ。指の隙間から声が漏れる。
鳥場鏡子なのである。髪を振り乱し、半狂乱になって下りてくる。怯えた目はくるくるとあらぬ方向を見ている。鏡子が目の前に差し掛かっていた。その足はない。靴音もしない。早鐘を打つ心臓が破裂しそうになっていた。
鏡子は気づかずに通り過ぎる。ほっとしたのもつかの間、通り過ぎた鏡子を追って突風が襲ってきた。木々がうなり声を上げている。突風は鳥だ。巨大な夜の鳥が山を下る。鏡子はどんどん小さくなりその先に鳥居が見えた。朱塗りの鳥居である。鏡子はその鳥居をくぐり見えなくなった。
まだ鳥居の周辺は明るい。さっきの突風がまわりの木々を揺らし、見えない壁に当たった波のように波頭を上げている。すると風が消え入りそうな歌を連れてきた。
…いきはよいよい かえりはこない
…こないながらも~
…かえ~らんセ かえらんセ~
鳥居があるということは、未知は顔を上げて鏡子が現われた建物を見た。
あれは天神さまの社…あそこに参ってはいけない。ここから出なくては。
まさに下りかけた時、懐かしい声が聞こえた。
…帰ってはダメだよミチ。
静河の声…物の怪?
未知は手に千歳飴を持ちながら立ち尽くした。
つづく