こんにちは
ご覧いただき
ありがとうございます
今日は母の命日です
2016年4月に余命8ヶ月と宣告され
たった3か月弱で
あっという間に
逝ってしまいました。
66歳になったばかりでした。
正直、あっという間で良かったと思います。
苦しそうでしたから。
わたしが15歳の時に別居してから
一言も愚痴らず、一生懸命に
育ててくれました。わたしはいわゆる良い子ではありませんでした。母は黙って我慢してくれたのだと思います。母の偉大さを理解したのは30歳をすぎてから、それ以降はわたしなりに親孝行をしたいと、いろいろしましたが、所詮わたし、たいしたことをしてないし、自分のキャパを超えては母に八つ当たりしたり。
ただ言えるのは
何回も
産まなきゃ良かったのに
とか言ったけど
産んでくれて
大切に育てくれて
ありがとう
また
あなたの子に
産まれたなら
今の何万倍も
努力して
ちゃんと結婚して
子どもを産む努力をして
出来たら
孫を孫可愛がり
してください
5年前
6月24日
16時44分
わたしが
喉渇いたね
と
スポンジで
口の中を
拭った水で
少しむせた後
逝っちゃった
しばらくわたしは
わたしが
殺しちゃった
て
自分を責めて
看護師さんに聞いたりした
アレ
末期の水って言うんだね
ほんとうは
病院の裏口からではなく
正面から出たかった
ママを乗せた
ストレッチャーの隣りを歩きながら
霊安室を通って
裏口から出た時
葬儀屋さんの後部座席でママに触れながら
終わった
と思った
そして
早すぎたよ
その後行った美容院で担当の人に言ったら
黒髪のままだったんですね
と泣かれたよ
そこかよ!と少し笑えたね
しばらくして、近所のかかりつけ医に花粉症の薬をもらいに行って、今までのお礼と報告をしたら
美人薄命だね
て言われた
やっぱり
そこかよって
わたし、何も言えなかったよ
わたしより年上のブロガーさんやブロ友さんがお母さんの話をされる。
少しせつなくなる
介護も
看護も
大変だ
アフリカに行きたがった最期の日々。予行練習で行った宮古島
日本一綺麗な海
ほんの少し眺めた
綺麗とか
わからないね
ギリギリだと
無理だね
梅雨入りと同時に到着した宮古島
せっかくの
ラグジュアリーなホテル
わたしはママと彼を2人にすべく
ずーっとずーっと
プールサイドで雨に打たれながら
泣きながら彼と電話で話していた
目の前を通り過ぎる人に
ガン見されたね
旦那はまた行って
イヤな記憶を払拭しよ
ていうけどさ
強烈すぎて
それは無理だ
あれから5年
わたしはこんな身体になり
ゆうちゃんは脱走して
鯉太朗は
逝っちゃった
あのむかつく
ガンだったよ
あれから
奪われるばかりだった日々
去年は久しぶりに
誰もいなくならなかった
ももがきたよ
ありがとう
ありがとう
ありがとう
どうか
どうか
安らかに