7/12 東京医科歯科大付属病院にて

PET検査を受けました。

 ブドウ糖類似薬剤を注射して、

水分をたくさんとったとこまでは覚えてるんですが、

相変わらず、そのあとの記憶は飛んでますアセアセ

きっと痛くも恐くもなかったからですね口笛口笛口笛

 

この日も主人が、会社を休んで付き添ってくれました。

検査を受けている3時間ちょっとの間、

主人はどこで何をしていたのでしょう・・・??

今思えば、疲れただろうなと思います。

この日はふたりで

主人の大好きなぎゅうたんを食べて帰りましたニコニコニコニコニコニコ

 

7/5からは本当に泣いてばかりいました。

病気のことを調べれば調べるほど

恐くなりました。

肉腫ってこんなに恐いんだ。

5年生存率、こんなに低いんだ。

私、あと5年生きられないのかな?

もしかして2~3年で死んじゃうのかな??

まだ生きていたいのになんで・・・

なんで今なの? 

なんで私なの?

まだ主人のそばにいたいのに、

まだ子供たちのそばにいたいのに、

母は入所していて、体も不自由で

そんな母を置いて私が先に逝くの?

義父母も最近歳をとってきているのに・・・

なんで今なの?

 

病院もう一か所くらい行ったほうがいいかな?

でも、病院探しをしているうちに、

肉腫が進行してしまったら、どうしよう。

毎日そんなことばかりが、

頭の中をぐるぐる駆け巡ってました。

 

当時は働いていたのですが、

仕事がまったく手につきませんでした。

周りの人には相当、心配や迷惑をかけてしまったのだろうなと

今、本当に申し訳なく思います。

当時は周りの人に気遣うこともできないくらい、

余裕がなかったのです。

自分のことしか考えられませんでした。

 

私に普通に接してくる主人に

私のことなんて心配じゃないんでしょ!』って

よくつっかかってました。

本当にいやな思いをさせてしまったと思います。

 

ひとりの時はいつも泣いてました。

死という言葉が頭から離れませんでした。

恐くて恐くてしかたありませんでした。

当時の気持ちはどうあらわしていいかわかりません。

言葉が見つかりません。

父が直腸がんで、12年前に亡くなっているのですが、

告知された時はこんな気持ちだったのかな・・・。

そう思いました。

父と離れて暮らしていた私には、

病気になっって、気が弱くなった父の姿を見たことがないからです。

普段からそうだったのですが、

いつも穏やかに笑っていたのです。

多分、実家に帰る私には

そういう姿を見せまいとしていたのかもしれません。

 

あのとき、父の気持ちをもう少し察することが

出来ていたらよかったな。

そう思いました。