毎年前年と同じ様式に年度表示を変更して書類上書きするのが横着ながらも習わし、しかしながら改元された今年度、元号を直さず指摘されることも多々あり、それだけで「令和」にムカついていたわけだが、逆恨みもここまでくればむしろ可愛いよね(←だまれw)
 
平成→令和に記載変更していく流れで僕は気が狂いそうになったわけさ。
 
令和 令和 令和 令和 令和
令和 令和 令和 令和 令和
令和 令和 令和 令和 令和
 
おえ。
なんだよ 令和 れいわ って。
気持ち悪い。
 
字に酔うって言うのだろうか。
 
「この字はコレでよいのか?」
 
などというキチ〇イじみた倒錯。
こういうのゲシュタルト崩壊ってんだろうね。
 
「ゲシュタルト崩壊」
 
確かに明らかに「その」言葉なのにどうしようもなく違和感感じたり、慣れ親しんだ漢字にも自信が持てなかったりと一般的によく引用される現象以外に結構日常、身近に存在するんだよな。

例えば仕事柄頭を下げることが多いのでクレーム処理にせよ接客にでも感情から切り離された「申し訳ありません」を多用するわけだが、不意にその意味がわからなくなるんだ。

(申し訳ありません)
ってなんだ?
どんな時使う言葉だ?

もう一つ身近な例。
毎日同じ距離、同じ順路、同じ風景、通勤往復は単調そのもの。
だからちょっとした心の隙に目に見える光景が日常から切り離されてしまう。

(今走行してる道)
どこの道なんだろう?
ここはどこなんだろう?
 
そりゃアンタ、痴呆なんちゃうン?
 
なんて訝る方は是非、鏡の前で毎日「お前は誰だ?」を自分に向かって数回繰り返してほしい。
比較的有名な話なので御存じの方も多いと思うが数日で自分が誰なのか自信が持てなくなり発狂するという。
これは言葉自体だけでなく聴覚的・視覚的と複数のゲシュタルト崩壊を体験できる危険な手段として都市伝説を通り越してゲシュタルト心理学的にもk
 
か、書いてて気分悪くなってきた。

ナイトキャップと言い訳して焼酎あおって明日の朝まで現実とおさらばするとしますか。
 
あ、あれ?
財布の中身が見当たらない!
なくなった理由がわからない。
 
煌びやかなお店で綺麗なおねえちゃん達からお礼を言われた理由もわからないわ。
 
恐ろしい、こ、これもゲシュたるとほうか・・・(←違うわw)