ファーストコンタクト。

 

この人苦手だな。

 

なんて思うことありますよね。

そんな相手と対峙していかなければならない場面、どのような行動を執るのが正解なのでしょう。

 

避けますか。

打ち解けようと努力しますか。

 

安心してください。

どちらの選択肢選ぼうともその相手とは苦難の道しか用意されておりません。

 

何故って、その苦手と認識した相手もまた同じこと思ってるわけなのですから。

 

周りを考慮し大人の対応としてお互いが「打ち解けようと努力する」という選択肢を選んだと致しましょう。

確かにそれにより距離感は縮まり束の間の平穏は無風を伴いやってくるでしょう。

 

・・・無理してませんか?

 

ええ。

無理なんです。

無理してるんですもの。

 

「いやあ、コイツとは最初は仲悪くてさ、でもいつの間にか意気投合しちゃって」

 

なんてテクストあるとしますよね。

あ、それ違うんです。

そういう相手、最初からお互いどこかに憧憬、もしくは拗れた嫉妬にも似た感情、それ即ち「知りたい」という好奇心の裏返し。

今回のテーマとは似てるようで対極な存在。

 

思い当たる友人、いらっしゃいませんか。

「友人」として存在しているのですもの。

それが結果です。

 

「嫌悪感」

 

とはすごくマイナスなココロの葛藤です。

生理的ココロの葛藤です。

ふり幅が大きすぎて修正なんておおよそ不可能に近いのではないでしょうか。

 

最初の邂逅がすなわちこの「嫌悪感」だった場合。

お互い努力したとしても果たして上記のような結果が生まれるのかとういと、正直首を横に振らざるを得ません。

 

本日このテーマを取り上げたのには理由があります。

自分の悪評をとある人物が広めているとの話を第三者から人伝に聞きました。

ええ。

良く知ってる人物です。

2年前まで同じ事務所で働いてた同年代の男性。

私は彼のことが・・・大嫌いでした。

外見も、態度や仕草、話し方、匂いまでも。

最初の印象がただただ「キモチワルイ」、その文字通りの嫌悪感でした。

この規模の組織ですから避けるなんてことは職務遂行上是とした行為ではありません。

故に表面上は日々同じ業務を共にする仲間として仲良くしてきまs・・・演出してきました。

きっと先方も同じだったのでしょう。

 

「それだけ俺のこと気に食わなかったんやろなぁ、仲良させてもらった思ってたんだが」

 

なんて大人ぶった対応なんて実は皮肉以外のなにものでもない。

 

嫌われることに「美学」なんてなくて、いくら見繕っても皮を剥がせば剥き出しの「憎悪」しか残らない。

(なんてこと書きたくなかったな)

 

相手の汚さが。

自分の汚さが。

 

なんだろ

悲しい。

 

 

<Tips>

第三者から自分の悪評が伝わるってのほど気分の悪いことではないが、そもそも「悪評」があるってこと自体で自分の脇の甘さを恥じなければならない。

とはいえ、現場指揮としての力量はまだしも、私生活では女性遍歴、そんなん誰しも突けば出てくるわけであって、よくもまあ誇張して吹聴したものだと呆れるやら悲しいやら。

「剥き出しの憎悪」なんて書いてみてはいるが同じレベルには落ちたくないので怒りさえ湧くことを拒否してる模様。

ともあれ、今現在接触のない人間の「陰口」吠える男にはなりたくないものだ。