やっと一息 | たべるのだいすき!

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日々の生活、食べたもの、らーめんの記録。卵巣嚢腫ラパロ体験記もあります。


覚書です。

死後当日から、、

葬儀の打ち合わせ、仕事、義母の葬儀準備で施設に届け物して確認、からの仕事、片付けもままならず仮眠、葬儀当日という流れ。

支度しながら声かけて子供達にも支度させつつ準備するもの用意して軽食を掻っ込んで出発。

プエルとフェロは施設に入居中の義母を迎えに行ってもらい、私たちは葬儀場へ移動。到着したら車椅子を借り義母の受け入れ準備。いっくんに車椅子を任せエントランスで待機してもらい。

(車椅子移動である義母はリハ専ナース経験のあるプエルに全面的に任せられたのは大きかった。到着からずっとプエルが付き添っててくれて、車椅子移譲も移動もぜんぶ任せて安心プエルさん。でした。ありがとね^^)

喪主であるだんな、私は会場入り。私はお線香上げたらすぐ受付案内係へ移動。喪主はあちこち動いて挨拶したり私に親戚筋の名前のアナウンスしてくれたり気を配ってくれてました。



終わったら貴重品まとめて急いで喪主(長男、だんなです)の隣につく。


葬儀は、、、、義母がお願いしてあった曹洞宗というお寺さんで。私は初見だったのでいろいろびっくりしてしまいました。

何か素敵なコンサートのようよ?

お坊様いい声ですな〜

感動しました、素敵〜!!と、、余韻に浸る間もなく斎場の人に急かされ車へ移動してお見送り、からの追尾して火葬場へ。

ここで義母は施設へお帰りなのでプエルとフェロが送ってくれ、終わったら火葬場で合流しよう、と一旦お別れ。

喪主と奥様は確認があるのでと呼ばれ、名前や炉のナンバーとの照らし合わせなど。終わったら控室に行き軽く挨拶して雑談。

そうこうする間に呼ばれ再度確認作業からのお骨上げ。

全部終わったら、だんなが親戚の叔母たちを送って行くことになり離脱。プエルの車で自宅へ帰宅して着替え。

用意しといた祭壇にお骨を安置して、花を生けたり、冷えたビールを供えたり。お疲れ様でございました、じぃじ(^^)

で、だんな帰宅して着替えたら、お疲れ様会ということで皆で行きつけの寿司屋へ。



美味しいねえ。



乾杯〜今日は好きなだけ食ええぇ!

そしてふらふら帰宅、風呂って寝ました。疲れ過ぎて食べ過ぎてなかなか寝付けなかったけど寝ました(笑)

今日明日は忌引き休み頂いたので、ゆっくりしたいと思います。

いやこれマジこれ親でも義親でもどちらが身罷っても忌引き最低で5日は欲しいですわ。3日って言われて仕方なくこうなったけど、これじゃキツい…喪主と施主にとっては、亡くなった当日からがもう全ての始まりなんだもの。そこから休めるようにしてもらいたいわ。本気で倒れるかと思ったもんね。

世の中の皆さん、お疲れ様です。綾もまたひとつ大人の階段を登りました。いい経験になりました。ああしんど(笑)