ALOHA!
約2年前から始まったペレとヒイアカ研究会。
毎回、少しずつペレとヒイアカの物語を翻訳して、まだ30ページ目あたり。
それでも着実に、物語は新たな展開へ。
それまでは独自に「ペレとヒイアカ」という神話に触れて来たが、この研究会で、原本の翻訳を仲間とやって行くと、全く知らなかったキャラクターを知ることになる。
今回私たちが物語で出会ったのは、
パプレフ という名前の少女だ。
彼女はパナエヴァのカマアイナ。
ヒイアカたちが、危険なモオ(オオトカゲ)との闘いに挑む前に出会っている。
本文から感じる彼女は、とても気さくで明るく気前のいい女の子。自分たちが料理をし宴会を催すからと、旅の途中のヒイアカたちを歓迎し、食事に誘う。
明るくて感じの良い女の子だ。
しかし、彼女の話し方や所作など、ペレは細部を見ていて、どうもヒイアカやワヒネオマオ達とは区別している様子が物語の中に出てくる。
ヒイアカは直感力や霊力に優れている、だからその時々の態度や言葉を選んでいる。つまり洗練されているのだ。ワヒネオマやパウオパラエもその部類だ。
一方、パプレフは、集落の大家族の一員で、普通に暮らしている。そして、すぐお腹が空いては、「あれを食べたい…」と呟いたりします。
無邪気で憎めないパプレフ。
しかし、所作や食事の仕方など細かい部分を見ていたペレは、パプレフを見放します。差別??と感じる程です。
ヒイアカ、ワヒネオマ、パウオパラエと彼女では一体何が違うというのでしょうか?。
物語を読んでいると、何となくペレが区別をした理由が分かる様な気もします。
・・・
私は、なぜこの物語にパプレフという存在が突如現れたのかとても謎でした。
ラカの存在意義である、
「まぁまぁの出来」と、「一流」
の領域の違い。私たちを一流にのし上げるものとは、一体何であるのかを教えてくれている。
これは一見差別にも感じるが、しかし、人間界のどんな世界にも「一流」というものは存在し続けている。
つまり、普遍的であることと、特別であることの違い。(普遍的であることも重い価値が存在し、むしろ一般社会ではこちらの方が大切と言えます。しかし俗世間的なものです。)
ヒイアカの他の姉たちは、「普通」で「安全」な生活を保つ為に、ペレの婚約者をカウアイ島から連れてくるというペレからのオファーを断りました。
その旅はあまりにも危険過ぎるからです。しかし、末妹のヒイアカが「私が行きます」と受け入れました。
これは、私たちの人生に照らし合わせることが出来ます。そして、この部分はこの神話の中でかなり重要な部分です。
確かにヒイアカの決断は立派ですが、姉たちが危険を避けて断るのも理解は出来ます。
では、この姉たちとヒイアカは一体何が違うのでしょうか?
私の中に二つの答えがありました。それは、
単にヒイアカには他の人よりも強い勇気と行動力があったから。
そしてもう一つは、
自分には危険な旅を遂行する能力がある、と、自分の潜在能力を感知していた、という二つです。
潜在能力とは、それを発揮出来るか否かばかりが注目されるが、その潜在能力自体も普遍的な能力なのか、何か特別な霊的な力なのか?違いがあると思います。
人は何となく自分のことを分かっていて、自分の能力外のことは、やはり「怖い」と感じ、そこへ行かないのが当たり前だと思います。それが直感です。
他人に出来て自分が出来ないこと… それは、努力でどうにかる領域と、努力してもどうにもならない領域が存在しています。自分が持ってない力を必要とする場面は、人は「怖い」と感じ、それを避けることで自分を守ります。
臆病に見える姉たちですが、やはり旅を続けるバイタリティや潜在能力が自分達には無いと分かっているからこそ旅に出るのが怖いと感じるのです。
だとすると、
神に選ばれる…
というのは、単に素質であり、最初から決まっていることなのでしょうか?。
そこを理解する為に、この普通の女の子であるパプレフの存在は物語上必要なのだと思いました。
ヒイアカ達と出会ったが為に、その魅力に魅了された。だから一緒に居れば、確かに刺激的で楽しいかも知れない。しかし、パプレフの居場所は彼女の住んでいる集落であり、ヒイアカ達と共に旅に出ることでは無かった。
パプレフは、元の集落での普通の生活で、充分満たされる人なのです。
人はどこで自分が満たされるか?が潜在能力のヒントになる。
・・・
ペレに選ばれる人と選ばれない人…
ヒイアカの旅に出る人と、集落に留まる人…
その答えはもう、実は1人1人既に知っているのだと思います。それを敢えて確認したくて、私たちはオリを覚えてフラを踊るのだと思います。
me ke aloha!📚