(暗いです。頑張ってる人、夢があって励んでいる人は読まない方が良いです)
(自分の心の中の整理のために書いています)
私には自信がありません。
自信がないがデフォルトすぎて、何をするにも、いつも臆病です。
したがって、どんなことも受け身になりがちです。
最近そんな自分を眺めていて、この「自信のなさ」とはいったい何だろうと考えています。
自信などあってもなくても、どんな人にだって何かしらの能力があります。
私にももちろん、備わった能力があります。
同じ人がいたとして、自信がある場合と、ない場合では、その行動も、結果も、世の中に与える影響も、全く別世界と言うほどに違うと感じます。
自信とは行動した先につくものであって、最初から備わっている人はいないのかもしれません。
でも、できると信じて動ける人はいます。
私は、自信がないまま、仕方なしに、やるしかなくて、たくさん努力をしてきました。
それで、できるようになったことも多くありました。
他人から認められることもありました。
それでも、依然として、自信がありません。
ジェンダーに関する研究では、多くの女性に共通する問題だということですが(女性は男性に比べて
実力を2割引きに評価する)私のもそうなのでしょうか。
それとも性格でしょうか。甘えでしょうか。
わかりません。
私は自信がなく、いつまで経っても、自信がありません。
もしかしたら、定年退職するその日に、やっと、「ああ、なんとかできたな」と思うのかもしれない。
だけど、できればその日を待たずに、「なんとかなる」「私にはできる」と思いたいし、
毎日こんなに不安と隣り合わせの生活は辛いです。
しかし自信のなさというのは、なかなか、治りません。
そもそも治るのかもわかりません。
自分の自信のないところ、踏ん張りがきかないところ、すぐに弱音を吐いてしまうところ、
肝の座っていないところが、本当に不甲斐ないと感じてしまいます。
そうしてずっと自分を責めているから、余計に自信がつかないのかもしれませんが。
このセルフイメージなんとかならないかな
それとも、私として生きていく以上、この部分はもう諦めて、こういうものだと思って、付き合っていくしかないのでしょうか。
例えば、身長や肌の色のように、これは私の性質なんだろうか?
もしそうなら、それを受け止めるしかないよね。
大坂なおみ選手は、世界一の女王になった方です。
それでもいつも、とても繊細な揺れる心を持っておられますよね。
自分と大坂選手を重ねるのはあまりにも烏滸がましいけれど、第三者としてみていると、
もっと自信を持ってもいいのに、もっと図太くてもいいのに、と思います。
生きづらいだろうなぁ、と感じます。かわいそうだなぁと思います。
何もかもやめて、テニスもやめて、誰もいない場所に行って、のんびりしたいと思うだろうなぁと。
私はまだ大したこともしてないくせに、すでに余生を夢見ているところがあります。
早く定年が来ないかなぁと、思っている自分がいます。
でもこれから定年までの日々に、自分がどんなふうに大変になっていくかを考えると、
怖くて、自信がなくて、弱音しか出てきません。
こんなにも弱音まみれの自分を持て余しています。
仕事だけではなく、趣味の世界でも、子育ての世界でも、どこでもそうです。
うまくやっているように見せても、内心はいつも不安で、元気がありません。
ああもうこんな自分は嫌だなあ
だけど自分はこれまでもずっとそうだったし、そうでなかったことなんてありません
この先もずっと、この自分と一緒に付き合っていかないといけない気がします
私が自信満々でいられる日は来ないと割り切って、
自信のないままで、どうやってうまくやっていくかを、あきらめて考えていこうかなあ
自信がなくていいよ、それが私だよと。
それでもなんとかやっているのは、すごいねと。
これはもうほんと、私には自信がありません病だなって思います。
偉そうなことを言っても、書いても、考えても、いつでも背中にべったりと貼り付いている自信のなさ。
この背後霊と一心同体のまま、やっていって、
人生が終わるその瞬間に、「ああ、全部自分の作り出した幻だったなぁ」と気づくのかな。
そして、誰かが書いた詩のように、「こんなことだったら、もっと多くのことにチャレンジしておけばよかった」「もっと自分を信じればよかった」「怖くてもやってみればよかった」と、後悔をするのかなぁ・・・
それもしょうがないか。
その時は自分に、「でも、それができなかったのが私だったね、しょうがない。それでも、ここまで死なずに生きてきた、上出来だよ」と言ってあげたい。
最後くらいは自分を責めたくないな。