日本を貶める作家や先生はたくさんおいでですけれど、日本を高め、日本人が成長できるような切り口で語るものがいかにも少ないのは、たいへん残念なことに思います。

たとえば、先日読んだ本です。タイトルは伏せますが、その中には、
「与謝野晶子は『君死にたまふことなかれ』を日露戦争の最中に歌ったから、晶子は反戦主義者であった」と書いてありました。
驚きました。

与謝野晶子は、反戦主義者でも好戦主義者でもありません。
与謝野晶子は、「歌人」です。
歌は「察する」文化です。思想ではありません。
心を察するのが歌です。
ですから歌人が扱うのは、政治や思想ではなくて、人の心です。
そして人の心とは、常にひとつではありません。
常に相反し、千路に乱れているのが、人の心というものです。

好きだからこそ憎らしい。
独占したいから突き放す。
立派だからこそ嫉妬する。

ひとりの人でも、心には複雑な感情があるのです。
それが大勢の人となれば、世間や社会の心は、さらに一層複雑です。

『君死にたまふことなかれ』は、弟の出征に際して詠んだ歌です。
弟を笑顔で元気に送り出した一方で、「生きて帰ってきてほしい」と思う気持ちがある。
その心を歌った詩です。

与謝野晶子は、わかっているのです。自分の弟の出征が、姉である自分や、両親の命を守るため、安全で安心な暮らしを守るためだと、わかっているのです。
だから出征は、とてもありがたいことだし、立派な軍服姿になった凛々しい弟の姿が愛しくてたまらないのです。
だからこそ、生きて帰ってきてほしい。死んだり、大怪我をしたりせず、無事に帰ってきてほしい。

そしてその気持は、当時の日本人の女性たちの誰もが抱いた気持ちだったし、彼女はそれをまさに代弁したからこそ、この歌は、まさに当時、一世を風靡したのです。

けれどその影響を、危惧する人もいました。
与謝野晶子の尊敬する歌人の大町桂月(おおまちけいげつ)です。
彼は、雑誌『太陽』に、「世を害するはかかる思想なり」と与謝野晶子の歌にクレームを付けました。
これに対して与謝野晶子は翌月、『明星』誌上で「歌はまことの心を歌うもの」と反論しています。

このことをもって、大町桂月と与謝野晶子の歌人同士の火花を散らした対立と闘争のように捉えている先生もおいでのようですが、私は違うと思います。
大町桂月は、歌が思想にされてしまうことを危惧しているのです。

第一に、時期が悪い。いよいよ戦いというとき、兵たちは死んでお国のために奉公しようとしているわけです。
それを「生きて帰ってきてね」などと言われたら、兵士たちの、あるいは国家としての決意に乱れが走る。
戦うべきときには、心をひとつにして戦わねばならぬ。
そういう時期に、発表すべき歌ではない。

第二に、歌は思想ではない。歌は気持ちであって、言論でもなければ思想でもない。
ところがこの歌は、そうした思想として捉えられてしまう危険性がある。
このことを大町桂月は指摘しているわけです。
そして与謝野晶子も、翌月、「歌はまことの心を歌うもの」と回答しているわけです。
そもそも大町桂月は晶子の才能をたいへん深く認めているし、与謝野晶子も桂月を生涯尊敬し続けています。

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