「ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね。
 旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。
 ヒロヒトが四十歳を過ぎた猫背の小男ということを
 日本人に知らしめてやる必要がある。
 神さまじゃなくて人間だということをね。
 それが生きた民主主義の教育というものだよ」 

 昭和二十一年二月、昭和天皇が全国御巡幸を始められた時、占領軍総司令部の高官たちの間では、そんな会話が交わされていたそうです。
ところがその結果は高官達の期待を裏切るものでした。昭和天皇は沖縄以外の全国を約八年半かけて回られました。
行程は三万三千キロ、総日数百六十五日です。 各地で数万の群衆にもみくちゃにされたけれど、石一つ投げられたことさえありませんでした。

英国の新聞は次のように驚きを述べました。 
「日本は敗戦し外国軍隊に占領されているが、
 天皇の声望はほとんど衰えていない。
 各地の巡幸で群衆は天皇に対し
 超人的な存在に対するように敬礼した。
 何もかも破壊された日本の社会では
 天皇が唯一の安定点をなしている。」

イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、長男が即位したが、わずか一ヶ月で廃位に追い込まれています。 
これに対し日本の国民は、まだ現人神という神話を信じているのだろうか? 
欧米人の常識では理解できないことが起こっていたのです。 

以下のことは、先日の日本史検定講座で高森明勅先生に教えていただいたことですが、フランスに世界を代表する歴史学者のマルク・ブロックという人がいます。
そのマルク・ブロックが、ヨーロッパの歴史を書いた『封建社会』(みすず書房刊)という本があるのですが、その本の中で彼は次のように述べています。

「西ヨーロッパは、他の世界中の地域と違って
 ゲルマン民族の大移動以降、
 内部で争うことはあっても、
 よそから制圧されて文化や社会が
 断絶するようなことがなかった。
 それによって内部の順調な発展があった。
 我々が日本以外のほとんどのいかなる地域とも
 共有することのないこの異例の特権を、
 言葉の正確な意味におけるヨーロッパ文明の
 基本的な要素のひとつだったと
 考えても決して不当ではない。」

西ヨーロッパは歴史が断絶しなかったからこそ、中世の文化を継承し世界を征服するだけの国力をつけて十八世紀後半以降の市民革命を実現し、近代化を実現することができた。
そのことを「我々が日本以外のほとんどのいかなる地域とも共有することのない異例の特権」とマルク・ブロックは書いているのです。
ここに書かれたゲルマン民族の大移動は、四世紀から五世紀にかけて起きた事件です。
そしてこの大移動をもって西ヨーロッパの古代の歴史は断絶し、まったく別な中世へと向かうわけです。

日本の四世紀から五世紀といえば大和朝廷の発展期です。
大和朝廷は弥生時代に倭国を築いた朝廷がそのまま大和地方に本拠を移したものに他なりません。
弥生時代は縄文時代の延長線上にあります。
弥生人は決して渡来人などではなく、縄文時代からずっと日本に住み続けた同じ日本人です。
そしてその弥生時代がまさに卑弥呼の登場する時代です。
その倭国が東上しながら古墳時代をつくり、そして奈良県の大和盆地に都を構えたのが大和時代です。

その大和朝廷は、第三回の遣隋使で
「東の天皇、つつしみて西の皇帝にもうす」
と書いた国書を持参しました。
これが日本が対外的に「天皇」を名乗った最初の出来事です。
西暦六〇八年の出来事です。

この大和朝廷が「日本」を名乗ったのが六八九年です。
つまり天皇の存在は日本という国号よりも「古い」のです。
そして万世一系、昭和天皇は第百二十四代の天皇です。
ご在位は歴代天皇の中で最長です。昭和の時代は世界恐慌から支那事変、先の大戦、戦後の復興、東京オリンピック、そして高度成長と、激動の時代を生きられたのが昭和天皇です。

その昭和天皇の辞世の御製です。

 やすらけき世を 祈りしも いまだならず
 くやしくもあるか きざしみゆれど


この御製は昭和六十三年八月十五日に陛下が全国戦没者遺族に御下賜遊ばされたものです。
「安らかな世をずっと祈り続けたけれど、
 それはいまだなっていない。
 そのことが悔しい。
 きざしはみえているけれど、
 そこに手が届かない」
という意味と拝します。

昭和天皇は崩御される直前に、「悔しい」と詠まれておいでなのです。
どこまでも国民のためを思うご生涯を遂げられた昭和天皇の思いに、わたしたちは日本国民として、ちゃんと答えているのでしょうか。

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※この記事は2011年3月から毎年掲載しているものです。