〈ナショナリズムを問い直す〉青木保 Nov/04

まずは、評論お得意の「現状分析」から。
この「現状」から問題点をすくい出して問題提起していくのが評論の得意技であります。

で、この最初の現状で筆者が言っているのは
【ナショナリズム、ナショナリズムって最近うるさいけどさぁ、確かに目立ってるよ。だけど、よく見るとその中身はバラバラじゃん?】
ってことです。そこから、現代のナショナリズムの特徴へと話はなだれこみ、それをどう評価し、位置づけるかっていうことになるわけですね。

 ここまでをまとめますと、
【現代のナショナリズムは細分化されたもので一様ではない】
【いずれにせよ、本質的に閉鎖的、排他的で危険】
【だから、ほんの小さな動きであっても、注目して原因を明らかにする必要がある】
ということになりましょうか。ここまでは前置きといってもいい部分。ほんとに筆者が言わんとすることはこの後の、「ナショナリズムをめぐる議論」についてです。

 この議論は二点ありますね。前半が、サミュエル・ハンティントンの911前後で話題になった、いわゆる「文明の衝突」論について。後半は「他方」以降の「多文化主義」についてです。

「文明の衝突」論。この言葉くらい知ってますよね?知っている人は知っている。知らない人は知らない。両者の間には深くて暗い河がある。
 何がいいたいかというと、これから多分日本社会は、ますます「アメリカ的」になっていくだろうということ。

 ベッカムあたりをイメージした「メトロなんちゃら」だっけ?日本でもそういうのんを目指そう!みたいな話で使われてますが、ブラピやベッカム的な、都会に住む収入もスタイルもいい人って、実は、地方の、治安が悪い所に住む収入の低い人はジョギングも健康的な食のスタイルも選択出来ず、カウチでポテトやマックを食べては、ケーブルテレビの説教師の演説を刷り込まれ、志願兵として退役後の進学や就職を夢見つつイラクへ送られるという人生の対極にあるわけです。

 つまり、生活レベルの格差、端的にいえば、収入の格差、それに教養レベルの格差やマナーなども含めた社会的常識の格差がどんどん広がっていくだろうということです。そして、それは、ある種の階級社会の誕生につながり、その階級間の流動性が低くなる恐れがある。つまり、階層の固定化ってやつ。

 これはヤバイです。どこにいってもそれなりに安心してものがいえる=話が通じる、メシが食える、だいたい、どこでも「行ける」というのが崩れる恐れがある。生きにくいですよ、これは。海外に旅行したり、生活して街をふらついた経験のおありの方は分かるでしょうが、簡単に言えば、東京にもニューヨークのサウスブロンクスやロンドンのブリクストンのような街ができるってことです。

 もちろん、これは同質性の高い社会の実現を意図するものではありませんが。
 階層間格差が広がり、各階層の流動性が低いと社会としては効率が悪い。そういう意味で生き難いと思うのです。
 極端に言えば、バカ殿であっても殿様、能力あっても小作人という時代から「藩閥政治は親の仇でござる」に移行し、学閥の弊害が薄れてきた昨今、「総中流」の時代が終焉を迎えるというのはどうかと思うのです。「総中流」がいいとは思いませんが。なんにせよ、差異を求めるのは人間の業だとしても、社会全体がそのカルマに縛られるのはねぇ~、と。

 効率の悪い社会は停滞することは、歴史が証明しているわけですが、たとえば、これは既に様々なディスコミュニケーションの形を取って現れつつある気がします。

 先日、電車の中で聞くともなしにこんな「会話」が耳に入ってきました。

少女1「ねーねー、趣味とかなんなの~?」

少女2「う~ん、音楽とか?」

少女1「あ~、あたしも超好きぃ、何聴くぅ?あたし、オレンジレンジに今、超ハマってるんだけど」

少女2「うぅん、マリリンマンソン」

少女1「ふ~ん。ってゆ~か、今日、超混んでない?(流すのかよっ!)」
 
 とまぁ、どちらも「音楽好き」な「初対面に近い」同世代の会話なのですが、私ならオレンジレンジもマリリンマンソンもミュージックシーンでどのような位置づけなのか理解可能ですし、まぁ、マリリンマンソンとオレンジレンジじゃ大分違うわなぁとは思いますが、とはいえ、知らなければ、それってどんなの?となるんですが、同じ「音楽」といったって自分の好みのツボからはずれてしまうと、そこから先は踏み越えないし、はいれない、あるいは、部外者は、いれないという感じがしてなりません。
 正確には、先に述べた社会格差とは異なるのですが、いずれにしてもこの「格差」を埋めることが快適な社会を作る一歩のような気がしてなりません。

閑話休題。
「ナショナリズムをめぐる議論」の話題の前半は、
「ナショナリズムをめぐる議論で注目すべき傾向が」以下で始まります。
先に述べたようにハンティントンを例とする「文化の政治化」です。これの属性は「『世界の秩序』を『文化の系統』で捉えようとする極めて戦略的な理論」となります。
 後半は、「他方」以下の、「多文化主義」です。これの属性は、「一つの国や…据えよう」ですね。
 この二点説明した後で、最後に筆者の立場からこれからの世界のイメージをどう捉えるべきかについて意見が表明されて終りです。最後がもちろん最重要ですから、要約文ではここに至るまでの流れを作る様にします。

 では、要約例
現代のナショナリズムは、細分化されたもので一様ではないが、いずれにせよ、本質的に閉鎖的、排他的で危険なものだ。ナショナリズムをめぐる議論で今日優勢なのは、ハンチントンの「文明の衝突」論にみられるような、「世界の秩序」を「文化の系統」で捉えようとする極めて戦略的な「文化の政治化」だが、他方、一つの国や社会に存在する複数の民族の「文化的アイデンティティー」を尊重し、「多文化」であることを基本に据えようとの「多文化主義」も大きな動きになっている。世界は「多文化」という現実と常識を基本に、平和と協調を考え、「文化の政治化」を避けるべき時代を迎えており、それこそが新世紀の人間の生きる術なのである。297w


次に宮台の憲法論。
私は全面的にこれに賛成するわけではありませんが、先の自民党の改憲案などをみると、ここに書かれてある憲法的原則に関する無理解が政治家、マスコミ、そして人々にもあるような気がしてなりません。「アメリカに押し付けられたから気に食わない憲法」を「アメリカの要請に従ってその意に添う形で」改憲するということ自体、論理的に破綻しているのですが、世の中には非論理的な話に感情的に乗せられる人が多いのですね。「無理が通れば、道理が引っ込む」「ウマイ話には罠がある」という世間知もあわせて覚えておきましょう。

さて、この宮台の論文は最初にサマリーがついていて、最後にもう一度まとめられていますから、それに従ってまとめていけばいいでしょう。

日本人の憲法をめぐる二重の困難の第一は、私たちがいまだに憲法的原則を理解せず、憲法を活かせないことで、憲法が統治権力としての国への命令であることが理解されず、憲法意思も発揮されない。法と道徳の分離の無理解も横行している。第二の困難は、21世紀が解決すべき多くの課題が憲法的原則では対処できないことで、たとえば、米国の振る舞いや憲法を口実にした戦争を国際法システムや国連がチェックできなくなった。さらに、統治権力が国内の憲法に服するだけでは解決不能なグローバルな問題もある。日本人は、憲法的原則とその射程を理解し、憲法を極限まで利用した上で、それだけでは解決不能な現今の諸問題を理解し、対処すべきだ。299w

一気にやってしまいましたが、宮台の文章は箇条書きっぽいというかアングロサクソン的なので【甲は乙だ。乙の第一は@@で、第二は@@、例は@@でさらに丙の問題もある】式の書き方になっています。論の流れを中心にまとめ、論が理解できる程度の例を字数に応じてつけたしてやれば、書きやすかったのではないでしょうか。


役に立つ、そして「高くないw」参考文献
『いま私たちが考えるべきこと』橋本治
『〈私〉の愛国心』香山リカ
『社交する人間』山崎正和
『二十世紀』橋本治
『ことばとは何か』田中克彦
『まともな人』養老孟司
『不自由論』仲正昌樹
『市民の政治学』篠原一
『いちばん大事なこと』養老孟司
『「みんな」のバカ!』仲正昌樹
『20世紀とは何だったのか』佐伯啓思
『昭和が明るかった頃』関川夏央
『本読みの虫干し』関川夏央
『クレオール主義』今福龍太
『日本の無思想』加藤典洋
『お金に「正しさ」はあるのか』仲正昌樹
『「しきり」の文化論』柏木博
『いまひとたびの戦後日本映画』川本三郎
『東京ファイティングキッズ』内田樹
『多文化世界』青木保
『差異と隔たり』熊野純彦
『人生は五十一から1~5』小林信彦
『現代思想のパフォーマンス』内田樹
『安心のファシズム』斎藤貴男
『意識とはなにか』茂木健一郎
『やぶにらみ科学論』池田清彦
『不美人論』陶智子
『デモクラシーの帝国』藤原帰一
『哲学はなんの役に立つのか』西研・佐藤幹夫
『お姫様とジェンダー』若桑みどり
『都市と日本人』上田篤
『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』中山元
『サヨナラ学校化社会』上野千鶴子
『デジタルを哲学する』黒崎政男
『エロス身体論』小浜逸郎
『国家の役割とは何か』櫻田淳
『リージョナリズム』丸川哲史
『教養としての「死」を考える』鷲田清一
『日本人の歴史意識』阿部謹也
『わたしはどうしてわたしなのか』大庭健
『民主と愛国』小熊英二
『日本人の境界』小熊英二
『オリエンタリズム』エドワード・サイード
『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソン
『地中海』エルナン・ブローデル
『世界史への道』石原保徳
『楽しいナショナリズム』島田雅彦
『批評理論』丹治愛 編
『文学理論』ジョナサン・カラー