こんにちは

だいぶ前に私の育った家庭環境について書いたもののその後はなかなか書く気になれず‥
今週母の9回目の命日です
気まぐれに書いてみます

楽しいものでもないけど。

母は東日本大震災の約3ヶ月後に自ら命をたっています。
両親の故郷は東北で、親戚はほぼ東北におります。
父の実家は津波ですべて流されてしまいましたが、祖母は近所の人に助けられ幸いにも親族で命を落とした人はいませんでした。
ただ、祖母は家が流されてしまったショックで自分も死ねばよかったんだってふさぎ込んでしまっていた時期もあったそうです。
こんな大変なことが起こって、だけどみんな助かって安心したのもつかの間、母が亡くなりました
。
東北も大変なのに親戚も駆け付けて密葬という形で母を見送りました。
母が自宅でなくなった朝、私は飼い猫とベッドで寝てました。
父と母の仲は最悪で私自身もう家庭のゴタゴタに疲れきってひとり暮らしを決めて、物件も決めて自分の人生に希望を持って気持ちよく眠っていた朝でした。
父の悲鳴に近い声で起こされ、
その希望は絶望に一瞬で変わりました。
断片的には覚えているけど
その時の出来事がキツすぎてか、
母の火葬場の場所とか全然思い出せません。。
ただ、あのジメっとした感じやモワッとした嫌な空気とかこの季節の独特な感じで嫌な記憶が蘇ります。
母はうつ病で亡くなる前の数年はメンタルクリニックにも通院してました。
姉ともよく話しますが、母は恐らく昔から、母が若い頃から何かしら精神疾患はあったんだと思うんです。
今思えば‥ですけど。。
そして、うつ病ではなく統合失調症だったのではないかと思うんです。
起こりもしてないことを本当かのように話すこととか被害妄想がすごすぎることとか、毒親ぽいところとか‥
文才がなさすぎてうまく書ききれないんですけども‥
なので、処方された薬ももっと正しければもっと他に道があったのかなっとも思います‥
亡くなってしまった今もうどうにも解明しようがないんですが‥
そして母が亡くなったことにより、正直平穏な日常が過ごせるようになりました。
母に娘を見せてあげたかったとも思うし
母に聞きたいこともまだまだたくさんあったし
もちろん大好きな母ではあったんですけど‥
それ以上に最後の方はもう本当に大変でした。
後悔も沢山だけど‥でも多分何もしてあげられなかったことに変わりはないと思う。
薄情な娘だと思われるかもしれませんが
本当に複雑なんです。
そして母がいたら父ともこんなに普通の関係にはならなかっただろうな。
昔から父の悪口ばかり聞かされてたから
女三人の中で父の居場所もなくなってたのもたしかだとは思う。
父にも非はありまくりなんですけどね。
不倫したり、不倫したり、不倫したりね笑
二人して自分が1番可愛くて大事な両親だから難しかったんだろうな。
って思います。
両親を見て育って反面教師な部分がたくさんあって、娘には夫の悪口は言わないように頑張りたい次第です
できるかな?笑

あとは過干渉にならぬよう、頑張りたいけど、私気になっちゃいそうで今から怖い

意識的にね。
がんばる。
結局前と同じような内容でまとまらなかったけど‥
たくさんの大事なことは母から教えてもらったし、私は自分で思うにすごく母に似ている。
だからこそ母のようにはなりたくなくて専業主婦にはなりたくなくて(専業主婦を否定してるわけじゃないです!!母は極端に世間知らずで一人じゃ何もできない、どこもいけない人でしたので
)

復職をするわけだけれども‥
この生活に慣れたら専業主婦も、悪くないなと思ってたりしてます

まぁいうて収入も不安すぎるし頑張るよ私は

とりあえず小学生に娘が上がる頃までは働くつもりです

あとはパートとかに移行できたらいいなぁ。
夫よそれまでになんとか年収アップ頑張っておくれ
笑


って母の命日にこんなに悪口みたいなことばかり書いたら怒られそうだ

今度は良い思い出も書いてみるかな

あ、母は料理だけはめちゃくちゃ美味しかったです

お弁当も凝ってて蓋が閉まらないほどでした。
それが恥ずかしかった記憶笑
私には真似出来ないなぁ。
母の作った
唐揚げ、ポテトサラダ、チーズケーキ、たらこスパゲッティ、他にも色々、、食べたいなぁ
