2011年の北海道旅行記です。
網走→知床→旭川→美瑛・富良野→札幌と巡ってきました。
北海道庁舎付近にやってきました。
札幌出身の彫刻家・本郷新の「北の母子像」がありました。本郷新の遺作のようですね。
北海道旧庁舎「赤レンガ庁舎」を見学していきます。
今は北海道の歴史を学べる博物館となってます。
入植当時の札幌のようす。ほぼ原野から町づくりが始まった。
戊辰戦争は函館が最後の戦場になりました。当時の砲弾。
戊辰戦争後は、明治新政府により開拓使が置かれました。これは北辰旗という開拓使の旗です。
2階も見てみるべ。
北の動物たちです。
不自然に目がクリクリしとるw
これは南樺太と北海道を結んだ海底電信ケーブルですね。1905年から40年、南樺太は日本統治の下にありました。
当時の樺太日日新聞。
樺太が島であることを、最も早く発見したのは間宮林蔵でした。不屈の闘志で北方を探検した人物です。
大東亜戦争末期、ソ連が日ソ中立条約を破り南下してきました。平和だった樺太も戦火に包まれることになります。
そして真岡郵便局の悲劇が起こります。お一方、お顔が反射してしまって申し訳ない。
1945年8月20日、樺太へのソ連軍侵攻に際し、樺太・真岡郵便電信局にて連絡業務のため残留していた電話交換手の女性12人のうちの、9人が青酸カリなどを用い自決しました。
「皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら」
有名な最期の言葉です。
このブログの一番最初の記事で、この事件については触れていました。
これが真岡郵便電信局の模型。
ここは記念室といって、知事室ですね。
知事閣下の机です。
下の段、右から2番目が町村金五知事。
町村信孝官房長官のお父上ですね。
北方領土奪還のキャンペーンも続けられています。
これは江戸時代に北方領土を探検した近藤重蔵、最上徳内らが択捉島に立てた記念碑のレプリカでしょう。
榎本武揚外務大臣の尽力で締結した「樺太千島交換条約」の複製ですね。
これにより千島は全島日本領になりました。
さて大通公園にやってきました。
大通公園のシンボル「泉の像」はまたしても彫刻家・本郷新の作品です。
さっぽろテレビ塔に上ってみたいと思います。
高さ147m。大通公園が一望できますね。
遠くに大倉山ジャンプ台が見えます。
札幌ドームやで。
昼飯は札幌ラーメン食べました。
食後は札幌市時計台に入館してみました。
元は札幌農学校の演武場として建てられました。
今は林立するビルの中にあるけど、昔はこうだったんですね。
町村信孝のおじいさんがいますね。内村鑑三に新渡戸稲造に、大物が多いですね!
「日本三大がっかり」の一つに挙げられる時計台ですが、建物自体はいいですね。土佐の「はりまや橋」なんかに比べれば断然まとも。
ただビル街の中にある、という立地が全てをぶち壊してしまってる感じですよね。全然そぐわないから。
だから羊ヶ丘にでも移転したら、一気に世界遺産とかになれるかもw
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