2019年4月のフランス紀行です。

 

ルーヴル美術館   Musée du Louvre

さてドゥノン翼0階に移動します。ここは彫刻コーナーです。

まず「ギャラリー・ダリュのコレクション」を鑑賞していきます。古代ギリシャ・エトルリア・ローマの美術が主体です。

 

ここはナポレオン3世によって築かれ、かつてはルーヴルの表玄関として、「サモトラケのニケ」に向かって進む回廊の役割を果たしました。

 

皇帝ディディウス・ユリアヌスの娘

紀元前193年と書かれてありました。

ローマのカピトリーノ美術館にオリジナルはあるそうです。

 

F. A.フランツォーニ「セレスの女の玉座」

18世紀の作品のようです。

 

 

女神セレス、隣接する2つの花瓶

紀元1世紀頃の作品と思われます。

 

 

オクタヴィアヌス、将来のアウグストゥス、ローマ皇帝

初代ローマ皇帝オクタヴィアヌスは、紀元前27年から紀元後14年まで皇帝の位にありました。

 

 

石棺「リコメード王の家のアキレス」

紀元240年頃の作品だそうで、ローマで発見されました。

 

 

 

 

ジュリアスシーザーとして知られる英雄的な像

紀元1世紀初頭の作品と思われます。

 

 

 

戦う戦士 ボルゲーゼの剣闘士

紀元前100年頃の作品と思われます。

この彫像は17世紀初頭にローマの南で、スキピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の発掘によって発見されました。発見時に右腕は欠けており、修復が行われています。

後にナポレオン1世によってイタリアからルーヴル美術館に移されました。

 

「ミケランジェロのギャラリー」に入ります。ここはミケランジェロの看板でわかるように、ルネッサンス以降のイタリア彫刻群ですね。

 

アントニオ・カノーヴァ「アモルの接吻で蘇るプシュケ」

1793年の作品です。

イタリア人彫刻家アントニオ・カノーヴァがつくった作品です。

愛の神アモルが、乙女プシュケが横たわっている岩の上に降りたち、プシュケが生きているかどうかを確かめるところです。アモルの頭に回したプシュケの腕が、輪を描くようで劇的です。

大人気作品の一つです。

 

アントニオ・カノーヴァ「アモルとプシュケ」

1797年の作品です。

 

 

 

 

ロレンツォ・バルトリーニ「サソリに刺されたニンフ」

1837年の作品です。

イタリア人彫刻家ロレンツォ・バルトリーニがつくった作品です。水の精ニンフを描きながらも、写実的な表現をしています。

友人のアングルとお互い影響を与えあってると言われます。(アングルの「ヴァルパンソンの浴女」の裸体の描き方など)

 

ジャコモ・アントニオ・ポンソネッリ「ディアナの胸像」

バロック期のイタリアの彫刻家です。

 

 

マルカントニオ・プレスティナーリ「アドニス」

1602年〜1604 年頃の作品です。

 

 

 

 

クリストフォロ・スタティ「友情」

バロック期のイタリアの彫刻家です。

 

 

 

アドリアーン・デ・フリース「プシュケを持ち上げるメルクリウス」

オランダはハーグ生まれの彫刻家です。

ジャンボローニャの工房にもいたそうで、いかにものマニエリスム彫刻ですね。

変人皇帝と言われたルドルフ二世がデ・フリースのパトロンでした。

 

「Apollon vainqueur du serpent Python」

16世紀のイタリア彫刻のようですね。

 

 

 

 

 

 

ミケランジェロ・ブオナローティ「抵抗する奴隷」

1513年〜1516年の作品です。

教皇ユリウス2世の墓として、ミケランジェロが制作を開始した「奴隷」連作です。

ルーヴルには2体ありますが、こちらの奴隷は、荒々しく身をねじりながら抵抗するため、「抵抗する奴隷」と呼ばれています。

 

 

ミケランジェロ・ブオナローティ「瀕死の奴隷」

1513年〜1516年の作品です。

 

もう1体は非常に若く美しい奴隷で、彼は死への眠りに落ちていくように見えます。

この像は「瀕死の奴隷」と名付けられました。この奴隷の横には、謎の猿の姿が見えます。

 

 

 


ベンヴェヌート・チェッリーニ「フォンテーヌブローのニンフ」

1542年〜1543年の作品です。

チェッリーニは、フランソワ1世に「フォンテーヌブロー宮」の正面口の装飾を依頼され、この作品を作成しました。(途中で王が死去し、別の場所に設置となった)

マニエリスム風に伸びた体を、自然動物が囲んでいます。

 

 


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