主の御名を賛美します。

2024年10月6日の日曜学校礼拝のメッセージです。

聖書箇所は、マタイによる福音書 13章1‐19節です。

1:その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。
2:すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。
3:イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
4:蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
5:ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
6:しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
7:ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。
8:ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
9:耳のある者は聞きなさい。」
10:弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。
11:イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。
12:持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
13:だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
14:イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。
15:この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』
16:しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。
17:はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
18:「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。
19:だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2学期の日曜学校が開始しています。また皆さんに会えるのを楽しみにしています。

 


今、病の中にある方、そのご家族、治療にあたるすべての医療従事者の方々、生活や心身の不安や恐れの中にある人々、貧困や戦火、災害等で、生命の危険にあるすべての人々に、主にある希望と平安が訪れますように祈ります。