〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。

 

〇現代口語文に近い形になおしました。

〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載

せます。

 

●その他一同の悲嘆慟哭はいうまでもないが、わけても和田中彦氏は気絶し、村上新五郎、神山誠の二氏は殉職せんとした。しかして、薨去の報天聴に達し、同十時三十分、勅使を差遣された。聖上より白絹二匹祭祀料金二千円、皇后宮より金五千円を賜った。薨去の居士は面に微笑を含み手に団扇を握り、端然と座禅しておられるので、弔問者はみなその薨去を疑った。

 

〇和田中彦 不明 儒者 清川八郎の浪士隊員 鉄舟との旧知

〇村上新五郎 俊五郎のこととおもわれる。

 1834-1902 清川八郎の親派

 

●全体居士は病中一度も苦痛を叫ばれたこともなく、常に笑みを含んでいられた。されば病中

「わたしが病気は胃がんじゃと おやおかしい

 いがむ(胃がん)にあらず にこりじゃもの

と書いて傍らの者に戯れられたこともある。

 

●このような世の中では絶無の大往生であるから、広く衆人に礼拝せしめんため、なるべく入棺を延ばしたいと希望する者が多かったが、千葉氏は盛夏のころなのであるからと注意し、強いて翌二十日の夜入棺せしめた。