〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。
〇現代口語文に近い形になおしました。
〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。
●居士と小野古風氏とは異母兄弟の間柄であるが、居士は妾腹であったから、子供の時より古風氏にはなはだしく軽蔑されたおられた。しかるに居士がひとたび戊辰の難局に当たられて以後は、古風氏心より居士を敬服し、常に先生先生と呼んだので、居士家人とともに、兄が弟を先生と呼ぶものがあるものかと語って大笑された。
●居士、慶喜公に従って水戸に居られし時、一日水戸人中随一の酒豪と会飲し、互いに豪を競われた。某五升を傾けすでに白旗を掲げてその場に倒れ、居士は七升をかたむけ、なお余裕しゃくしゃくで寓居へ帰られた。
●ある時は安倍川餅百八個を平らげ、またある時はゆで卵九十七個を平らげたと。
〇鉄舟は晩年胃がんになり、それが原因で死去します。晩年の回顧で自分は若いころ暴飲暴食を繰り返したので胃がんになったのだろうといっています。