〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。
〇現代口語文に近い形になおしました。
〇鉄舟本の多くが引用している部分がありますがそのまま載せます。
●幕府への建白書草案 以下皆清川八郎氏筆跡
●一、朝廷の御賄料の御増加のことは勿論、総じて公卿方に融通を十分されるよう。廉恥の気風が行われますように、一刻も早く御沙汰遊ばされたく。かつ公卿中姉小路中納言殿、三条大納言殿を始め国家のために周旋いたされた方々には、急ぎ報奨をお与えくださるように。何分人心を取りまとめることが今日の急用でございます。
●一、大阪城はひとり外敵の侵入の要地であるだけでなく、万一内乱が生じた場合には第一の要衝で実に危機に臨んでいるのでございます。一橋公が長くその鎮護に当たっていらっしゃいます。
●山国の大名四五家が付属して、およそ一万人も留め置き摂海一円の防御の手立てをされたならば、これまで備えていた因州、長州、土州等はいずれも海辺の大名に付き、かくその国に留め置き、沿岸を守るようにすべきと存じます。
●総じて海辺の大名はなるたけ、その国を限りに守るべきものにして近隣へ応援の御下知あらかじめしかるべく存じ奉ります。ところどころに従来のように散在していては、人心が落ち着かず、かえって防御することはできないでありましょう。
〇ここでは攘夷を幕府が約束したこともあり、国を挙げて大名を動員して防御の姿勢を示しています。