障がい者にしろ、LGBTQ+にしろ、

コミュニケーションをとるとなると

 

「いわゆる健常者の社会に合わせろ」

 

といった立場で物事が語られることが多いですよね

 

 

多数派のいわゆる健常者とされる人たちが、

わかりやすい形でなければ受け入れられないというような

 

いわゆる健常者で、初対面で「あなたの性癖は?」って聞かれることはないですよね

「あなたのできることとできないことを教えてください」とか

「身分証明(療育手帳など)を見せてください」なんて言われることもないと思います

それが、LGBTQ+や障がい者だと当たり前のようになされている

 

僕はそれが普通だとは思いません

僕が普段

「あなたの性癖は?」

なんて聞いたらただのセクハラです

 

けど、例えばゲイに対して

 

「どうして男が好きなの?」

 

とか平気で聞いちゃう人がいて、

それは許されちゃったりする

 

「あなたはどうして異性が好きなの?」

って初対面で聞かれたらどう思う?

 

 

ブルース・リーの映画「燃えよドラゴン」の中で、

ジークンドーという拳法の稽古をつけるシーンについての有名なセリフがあります

 

「考えるな 感じろ」

 

LGBTQ+や障がい者と関わるとき、

みんな人付き合いを頭で考えすぎなんですよ

頭の中で理屈をこねくり回して関わろうとするから、

おかしなことになっていく

 

 

小学校以前の友達付き合いってすごく単純です

 

「好きな奴は好き 嫌いな奴は嫌い」

 

って、めっちゃ単純明快で明け透けなんですよね

 

それが、小学生にもなると、周りのことが見えてきて、

適切な距離感を学ぶことになるし、

嫌いな相手ともうまくやっていく方法を覚えていく

 

嫌いな相手ともうまく付き合えるというのは、

別に友達になることでもなんでもなくって、

トラブルを起こさないっていう意味ですね

 

一般社会に出たら、嫌な奴はたくさんいる

 

訳の分からない行動をするものだっているし、

色々な意味で近づきたくない人だっている

 

様々な人がいる中で、

なんとなくうまくやっていく方法を探して、

それなりに何とかこなして言っているのが現状だと思います

 

そんな中で、

異質な者、なじみのないものと関わる場合、

まぁ、距離を置きますよね

 

見ず知らずの人から話しかけられたら、

身構えるじゃないですか

 

付き合っていかなくちゃいけない人だったら、

「本当に大丈夫かな」

って心配しながら、

コミュニケーションとりますよね

 

「どんな人かわからないから、少しずつ知っていこう」


っていうのが基本です

人付き合いって、

こういうものだと思います

 

 

ところが、

知的障がい者やLGBTQ+の場合、

無茶苦茶詳しく自己紹介をすることが求められるんですよ

 

よくわからないから、

レッテルや肩書や社会的評価を参考にしようっていうのはよくあることです。

面接のときの履歴書の確認なんか、

まさにそれですよね

 

けど、単なる知り合いに、

「履歴書もってこい」はないですよね

 

友達に履歴書や戸籍謄本、

求めたことってないでしょう?

 

知的障がい者だったら、

障がい特性を聞かれたり、

過去にどんなことをしたのかだったり、

人生の目標だったり、

友達付き合いだったり趣味だったり、

色々なことを客観的な証拠を求められたりします

 

LGBTQ+もそう、

性自認がなにで、

どんな性を好きになって、

性表現は何か、

いちいち説明を求められたりする

 

いわゆる健常者の方に選択権があって、

関わるかどうかが決められるところがあるんですよね

 

違うでしょ

人と人との付き合いなんだから、

基本的には対等じゃないといけないと思います

 

関わった結果、

それ以上関わらないことも出てくるだろうけれど、

それは仕方がないことだったりする

 

「知的障がい者と関わるときには」とか、

「LGBTQ+と関わるときには」っていう身構え方をするのが、

そもそもおかしいのであって、

 

その人を目の前にして、

「考えるな、感じろ」でいいのだと思う

 

もっといえば、

 

「慣れろ」

 

特別な意識を持たず、

身構えることなく、

そこにその人がいて、

それ以上のことはない。

 

そんな風に接する世の中になっていけばいいのだと思います

 

接した結果が

どんなものになるのかは

また別の話ですけど