知的障がい者への虐待が新聞紙面をにぎわしているのを見て、いけないことだけれど、「こういう施設も出てくるよなー」と思ってしまいます。

 

福祉にかかわる人の賃金が安いと、ずっと言われているのに全然といっていいほど変わらないですよね

 

これって、「福祉の仕事の価値はい低いんだよ」といわれているようなもの。

 

「立派な仕事をしたらたくさんの給料をもらえる」

「素晴らしい仕事には、それだけのご価値がある」

「誰にもまねできない、あなたにしかできないことは評価される」

「本人の能力や、達成した仕事に見合うだけの報酬がないといけない」

「世の中のみんなが求める需要が多くて、供給が少なければ給料は上がる」

 

こういう教育を受けながら、皆大人になってきてるんですよね

 

ということはですよ?

福祉の仕事に対する給料が安いのには、それだけの訳があるってことになりません?

 

さっきのを裏返せば、世の中の人が思っていることがわかります

「給料が安いのは、立派な仕事じゃないから」

「大した仕事じゃないから、それほどの価値がない」

「誰にでもできることで、あなたでなくてもいいから、それほど評価されない」

「たとえ仕事を達成しても、仕事に見合う給料自体が安い」

今、福祉に携わる人の賃金を上げなければいけないって言ってますけど、根底には「大した仕事じゃない」っていう気持ちがあるから、全然改善されないんだと思います。

価値を見出せないものに、人はお金を使わないものです。

 

現実として、福祉の仕事に対する世の中の判断はこんなものってことになります。

福祉の仕事に携わる人が、こういう風に思われるのは、あまりいい気がしないでしょう。

僕だってそうです。

どんなに頑張っても、そんなに評価されないとき、人はどうすると思います?

 

一般的には、仕事に対して手を抜くんですよ。

「世の中の人が期待している程度の仕事ぶりで十分だろう」って

そして、「もっと評価してくれるところへ行こう」ってなります。

なりたがる人がいないし、転職していくんだから、人手不足は当たり前です。

 

やりがいや達成感で仕事をする人はいますけど、生活が懸かっているからみんな賃金を気にします。

福祉の仕事に就いたものの、実際の労働と賃金の評価が違ってるなーと思ったら

「この程度の賃金ならば、このくらいの仕事ぶりでちょうどいい」なんてことを考える人だって出てきます。

「賃金以上の仕事を求められてもしたくない」んだから、実際に、それ以上の仕事が出てきたら嫌なんです

「どうして、こんなことまでしなくちゃいけないんだよ」と

 

手のかかる重度の知的障がい者の支援をするとき、多くの支援員はこう思っているはずです。

「誰にも面倒を見てもらえないから、こんな施設に追いやられてきたんだ。見てればわかる。これでは、社会生活は無理だ。」と。

幸せになるために、入所施設に入りたがる知的障がい者はいません。

たいてい、周りの人が面倒を見切れなくなって、入所施設に入れる。

どんなきれいごとで飾ったって、みんな思っています。

あまりに手がかかって周りの人の負担になってしまう知的障がい者は、「捨てられて、入所する」んですよ。

それほど大変な知的障がい者を支援するのに、仕事への評価が低いとなったらどっかにしわ寄せが行きます。その一つとして、虐待が現れたりするんだと思います。

 

大事なのは、誇りなんだと思うのです。

その仕事をすることで、自尊心が満たされる。

胸を張って、職業を語れる。

それを、よのなかのみんなが思って、あこがれるような仕事になれば、いいのだと思います。

 

目標としては、小学生のなりたい職業ランキングの上位に、福祉の仕事が出てくることを当面の目標にしたら、かなり変わると思います。もちろん、医療従事者とは別枠のカウントですよ?