ブログのタイトルは ライトノベルみたいに「○○な感覚を引き起こしてくれるだろう○○な○○」などと、特定の感情を期待させるようなものである方がいいのだろうか?

それとも、体言止めで「○○な訳」「○○の言葉」「○○な発言」「○○な行動」などと、興味をひくものでなければならないのだろうか

タイトルをざっと見てみれば、「それってなんだろう?」と興味がひかれるものの、期待ほどの情報が無かったりすることもあるから、読み終わってみれば「僕は一体、何を得たんだろう?」と時間を無駄にした感覚になってしまあったりもする。

エンターテイメントならばいいのだろうけれど、僕みたいにちょっぴりせっかちな人間や、時間を大切にする人から見たらイラっとする部分もあるのですよ。

 

「結論を先に言え」と。

また、興味を引くだけ引いておいて、中身が無かったりすると時間を無駄にしたと感じてしまいます。

僕なんかは、「貴重な時間を使って読んでくれるのだから、何かしら役に立つことや、新しい視点の参考になるものを書かないといけないな」なんて思っているので、適当にだらだらとい続いていく文章に腹が立ったりするのです。

 

まぁ、僕も文章も相当に回りくどいので、あまり人のことは言えませんが。

 

 

明佑会では、サービルを利用してくれる知的障がい者と話をするときに、まず結論を言うように指導しています。

 

というのも、知的障がい者の特性なのか、話しているうちに着地点を見失ったり、何を話しているのかわからなくなったり、言いたいことを忘れてしまうことがあるようなのです。

 

だから、まずは自分の一番言いたいことをはじめに言うように指導しています。

 

一番言いたいことをうまく言えないこともよくあるのですが、それをうまく引き出すのが我々の仕事だったりするのです。

 

ブログなどの話に戻れば、

時短だのタイパだの言う割には、無駄な行動を促すタイトルも多いわけで

 

テクニックとしては効果的だと理解できるのだけれど、じゃあ、そのテクニックを使われることを、皆が望んでいるかといえばそうではないだろう。

 

ブログのタイトルの隣に、「ネタバレボタン」みたいなのがあって、記事全文を読まなくても内容がわかるような、結論や要約にあたるものを見られる機能があればと思うのだ。

 

福祉の現場においては、行動や思考を任意の方向に誘導するのはあまり褒められたやり方ではなくって、なるべくストレスがなくなる仕組みを作ることが望まれている。

 

このような福祉的視点に立てば、インスタグラムやTIKTOK、このブログもそうだけれど、無駄に時間を使わせる、ストレスになるような仕組みはなくしていった方がいいはずなんだけれど

 

その動画や写真、記事を見てもらうための努力や技術は、利用者の立場に立って設定してほしいものである。

 

だって、うちの利用者の中には、一日中でもスマホ眺めちゃう人がいたりするんだもん。