美術館の庭は人もまばらだった。

芝に点在するオブジェの間を歩き、潤がひょっこりするのを真似したりして、二人で遊んで二人で笑った。

それからベンチに腰掛け、ゆっくりする。
冬の冷たい空気も午後の陽射しに和らいで、庭に流れる時間はまったりとしていた。

今夜また鬼ごっこするのなら、今度は勝ちたいね。
風とひとつになって。
カーブをいかに速く回るにはどうすればいいと思う?

そんなことや、あんなこと。
夕飯は何を食べようか。
潤とお喋りしてると時間は楽しく流れてく。

気づけば空は夕焼け小焼け。

俺と潤は、もと来た道を旅館へと引き返した。



戻った部屋は外と変わらないくらい寒かった。いや、陽が無い分、部屋の方が寒く感じるかも。


「さむっ」
「暖房つけるね」
「うー。あったまるまでくっついてよ」
「ふふ。うん」


見ると、座卓の上に今朝出した途中報告の返書が到着していた。
俺はその紙の鳥を開くと、声に出して読み上げた。


「 …よって、水神の龍の子のお相手は、龍の子の気の済むまで御付き合いするのがよかろうと考える。いかんなく力を発揮し絆を深めるがよし」
「わあ。気の済むまでかぁ」
「長期滞在ってことになるかな…?」
「鬼ごっこ、好きそうだったもんね」


腕が鳴るな。
潤との一体感と意思疎通の妙で見事に勝利。
そんな二人の姿を想像し、気持ちが高まる。
勝っても負けても楽しいひと時を過ごせるといいな。




そして夜になった。

俺たちは猿猴の住まう神社に行き、その時を待った。

程なくメギがこんばんはと現れると、ミズキも空をやって来た。


「ぐっすり寝てよく休んだか?約束通り、妖力を元に戻そうぞ」


そうミズキが言うが早いか、腹の中に妖かしの力が湧いて来てぐるぐると回り始めた。

抑えられていた妖力が元に戻った俺と潤は、妖狐に戻ると神社の屋根にひらりと翔び乗った。

メギもミズキの念力でぴょんと屋根にやって来る。


「さあ、今宵も勝負じゃ。真剣勝負じゃぞ」

「のぞむところです。今夜は勝ちますよ」


ミズキは満足気に頷くと、今宵はもう一組が加わるぞ、もう話しはついておる、と言った。

メギを背に乗せたミズキの後について行くと、そこは最初にこの地に来た時の、通用口のある大きな神社だった。


空からミズキが声を掛ける。
すると、狛犬がむくりと動き出し、俺たちの目の前へとやって来た。

右にいる口を開いている方の狛犬が先に言葉を発した。


「お呼びいただき只今参上。我は阿形(あぎょう)。最初の音であり、万物の求道心を司る者なり」

「我は吽形(うんぎょう)。最後の音であり、知慧を司る者なり。我らが阿吽、ここにて並び候」


思わぬ強敵の出現に俺と潤は目を見合わせた。


「阿吽って、速いのかな?」
「どうだろう。呼吸はぴったりだろうな」
「阿吽だもんね」
「ああ。でも俺たちの同調の同じ具合も見せてやろうぜ」
「うん」
「ふう、よしっ」


俺が気合いを入れていると、ミズキがゆくぞと言って更に上空へと行くから追いかけた。


「さあ。ヘトヘトになる迄、空を存分に駆け巡るぞ。あの岬から、あの岬までの間じゃ。よいな?」


海原の、遥か向こうと向こうをぐるりと見渡してミズキは言う。


「月がてっぺんまで昇って、子の刻丁度になるまでの間、鬼だったのがいちばん少なかった組の勝ちじゃ。」

「承知した」
「承知した」


阿吽が同時に返事する。
俺と潤も頷いた。


「最初の鬼は、わらわからじゃ。いくぞ。よーい、どん!」


ミズキの合図と共に夜空を駆け出した。

昨夜と同じように、潤は俺の背中から胸を抱いてぴたりとくっつき舵をとる。そして俺は風を操った。

十数えたミズキが、後から追いかけて来た。

阿吽は並んで空を蹴りどんどん進んでいた。脚運びも背中のしなりも呼吸も全てが同時で、曲がるタイミングも同時だ。
無駄のない動きで加速してミズキを翻弄していた。

ミズキは背に乗せたメギからの死角の情報を得ながら楽しそうに追いかけていた。
まだまだ本気はこれからだぞみたいな、ゆとりを感じる飛行だ。


三組になると、駆け引きも複雑になった。
結託して挟み撃ちにしようとしたり、あちらを追うと見せかけ油断させてこちらに来たり。

なかなかのいい勝負で鬼は回り、皆、余力を残しているようだった。



そうしていよいよ、おしまいの時間が来ようとしていた。

全力で逃げ始めた龍の子ミズキと狛犬の阿吽。
夜空を、ぐんぐんと駆けてゆく。

今、鬼である俺たちは、二組を視界の端に捉えるとその軌道を予測した。こう追えば、こう逃げるだろうと。


俺と潤は、満を持して二手に分かれた。
それでも俺たちの同調は変わらず続く。

目で交わす合図。

まるで降り出しそうに満天に輝く星を背に、ひときわ白い潤の姿が翔んでゆく。

俺はミズキを、潤は阿吽を、夜空の高みから抑えるようにして追った。
驚いたミズキと阿吽は俺たちの予想通り、波の近くへと逃げて行った。


おそろしく明るい月が、大海原の波間に映って揺れている。

その銀波が煌めく上で、月の光りを浴びた潤が、しろがねの尾を引いて夜空の端から端へと滑りゆく。


俺と潤は左右対称の軌道を描き、ミズキと阿吽を追い詰めると、海の上で同時に捕らえた。


「はぁ、まさかぁ!」
「ああっ、捕まったァ!」

「なんと見事な」
「なんと見事な」


「やったな!」
「うん、やったね!」


俺と潤は手を打ち合わせて握り、抱き合って背を叩いて、健闘を称えあった。


ここで時間となった。
結果は、ミズキと阿吽が五回ずつ鬼になり、俺と潤は三回で、見事、俺たちの勝利となった。


「なんとも楽しい勝負じゃった。よもやあそこでああ来るとは思いもしなかったぞ」
「はあ、驚きましたねぇ」

「ほんとに我も驚いた。でも楽しかったぞ、あはははは!」
「我もだ。驚いたし、楽しかった。わはははは!」

「最後の作戦が上手くいきましたね」
「互角に闘えて、勝つことが出来て嬉しいです」


俺たちは笑いあって、風に乗って猿猴の神社のある町の海へと戻った。




ここで、長くは神社の守りを空けていられない阿吽たちは、自分たちの神社へと帰っていった。

見送った俺たちは改めて向き合った。


「私たちはどうしますか?もうひと勝負しますか?」

「いや、もう勝てる気がしないから、鬼ごっこはやめじゃ。そうだなぁ、かくれんぼなんてどうじゃ?」


ミズキの提案にメギがびっくりして問うた。


「その大きなお体で、隠れるなんて出来るのですか?」


するとミズキは、雲を出しそこに身をひそめ、次に三日月になって夜空に溶け込んでみせた。







「どうじゃ?上手に出来てるであろう?」

「ふふ。とても上手ですけど、今夜のように晴れた日では雲はひと目で分かりますし、月も本物の月が夜空にありますからね」
「見事な技も、かくれんぼには向いてないのかな?」

「うーん、そうかぁ。なら、こうしよう」


ミズキはしゅしゅしゅと小さくなると、人型に化けてみせた。
可愛らしい小花柄のおべべを着たミズキは、ほんの小さな女の子になった。やっぱりまだ子供なのだと実感出来る姿だ。

ぷかぷか浮かぶミズキは雨雲を出してメギを乗せると、着物の袖を振り振りしてその姿を俺たちに示した。


「これならホントのかくれんぼが出来るぞよ?」
「かわいらしいですなぁ」

「化けるのも上手ですね」
「では、帰りますか?」


俺たちは夜空をのんびりとお喋りしながら神社へと戻ることにした。


「でも夜では暗くてかくれんぼは難しいんじゃないかなぁ?」
「明日の昼間にしましょうか?」

「えー?明日ぁ?まだ遊びたいぞ」
「河原に行って、魚と追いかけっこなんてどうです?」

「ははは。泳ぎだったらメギ殿がいちばんでしょうね」
「ふふっ」

「あら、泳ぎだったらわらわがいちばんぞ。ただ泳げるほどの広い川ならの話しだけど」
「龍が悠然と泳げる川は、なかなか無いでしょうなぁ」


神社へ戻ると、深夜の町を歩き、河原へと行った。
川もまた月に照らされ、流れる水面がきらめいていた。


川砂利に腰を下ろし、夜風を頬に受けながら星空を眺めた。


「でも、なんであんなに速いのじゃ?なにか精のつく特別なものを食べておるのか?」
「そうなのですか?」

「いいえ、特に変わった物は食べてませんよ。俺たちは夫婦で、日頃から一緒にいるから自ずと意思疎通が図れるのです。ね?」
「そうだね。相手の気持ちを思いやって考えていると、だんだん分かることも増えてくるもんなんです」

「ふうん。夫婦かぁ。よいものか?」
「お二人、仲がよろしいですもんねぇ」

「ええ。すごくいいですよ。よく言われる通り、辛いことは半分。楽しいことは二倍です」
「そうだね… 」

「仲の良い友とどう違うのじゃ。友とも、そんな絆は出来るじゃろう?」
「そうですよね」

「もちろん友とも強い絆は生まれます。でも俺と潤は、友であり恋人でもあるので、友の絆と恋人の絆と、二重の絆がある感じ、なのですよね」
「 …… (* `  ´ *) 」

「恋人とはなんぞや。夫婦と違うのか?」
「似たようなものでしょう」

「ええ。俺たちにとっては同じようなものです。恋人のように恋するトキメキと、愛し合う夫婦の絆と、両方あるので」
「 …… ( *´  `* ) 」

「ふーん。わらわもそんな相手がいつか欲しいものじゃが、トキメキとやらは、美味しそうにないからなぁ」
「ははは。いつか自然とトキメキが欲しくなりますよ」


ミズキの無邪気な感想に和まされ、横にいる潤と笑いあった。


「ふふっ… そうだよね。自然とね、ときめく相手に出会うと、知らないうちに落ちてるものですから… 恋は… 」
「 ……うん… 」

「ああ、この人だ… ってね」
「ん… 」

「 …疲れた?」
「全然。翔くんは?」

「俺もまだ全然。妖狐に戻って、調子も万全だよ」
「んふふ。本来の自分に戻ってよかったね」

「ああ。やっぱり俺は俺なんだ。これが」
「そうだね。さっきも… 空を駆ける翔くんが、翔くんだった。自由に羽ばたいてる感じが」

「翼は無いけど?(笑)」
「ふふ。けど、あるみたいだった」

「そう?」
「うん。まるで、翔くんのステージみたいだった。星空を流れるように翔んで、白銀の狐尾をなびかせて… かっこよかったぁ」

「そっか…?」
「事前に打ち合わせしたよね、何パターンか。いざ、二手に分かれるタイミングの時、目配せしたじゃない?」

「ああ」
「その時の翔くんが、俺らのステージだ。さあ、いくぞ、って言ってるみたいで、ゾクッとしたの。すごくかっこよかったよ」

「そう…? 潤こそ、綺麗で、かっこよかったよ」
「翔くんが、素敵だった… 」



「メギよ、わらわ達はここにいてよいものか?」
「 …なんだかお二人の世界に入られたみたいですねぇ」
「こうなるとつまらん二人じゃ。わらわ達だけで川遊びと参ろうぞ」
「そうしましょう」




潤の真っ直ぐな気持ちが嬉しい。
二人、妖狐に戻って夜空を駆けた。同じ気持ちで。
俺たちの自然な姿なんだよね。

愛しい潤…

そっと手を伸ばし、肩を抱く。
そして口づけようと、顔を近づけた。


「あ、こら… だめだよ… 」
「なんで… したい… 」
「でも、ミズキさまとかいるし… 」
「構わないだろ。夫婦とはこうだと教えてあげようじゃないか」
「ばか… 」
「んむっ」


潤に口を手で塞がれた。
ちぇっ。
でも、そんな潤もかわいい。


ふと気づくとミズキとメギはいなくなっていた。
あれ?と見渡すと、川面がパシャりと跳ねた。
どうやら二人で川遊びを始めたみたいだ。


河原にぴゅうと冷たい夜風が吹く。

身を寄せ合う俺たちは、もっとと肩をくっつけた。


「さむっ」
「ふふっ」


人の時の感じが不意に浮かび、思わず口に出した俺に潤が笑う。


「寒いとくっつく口実が出来ていいな」
「そこは人でも悪くない?」
「だな。ま、口実なんていらないけどな?」
「そうだね。寒くない方がいいよ、やっぱり」
「だろ?妖狐になってよかったろ?」
「ふふっ。うん」
「空も翔べるし」
「うん」

「なんてったって… 」
「 …… 」

「ずっと、俺と、いられるし」
「うん」


俺は隣りの可愛い笑顔を抱き寄せて、そして今度こそ口づけた。











鬼ごっこ編・おしまい