聴こえるのは波の音だけ。

さっきから砂浜で寝そべる俺の足を、波がくすぐる様に寄せては返す。

見上げる空は雲ひとつなく青く水平線の彼方まで続いている。
青すぎて嫌になるくらいだ。
だってそうだろ?
どんなに綺麗だって、一緒に見上げることが出来ないんだから。

歩き疲れた俺は、目を閉じ、時折吹く南風がシャツの襟で頬を叩くのも構わずにいた。


なんでだろう。
こんなに心穏やかなのは。
感情が平に沈んで、何も感じないみたいだ。


ね… なんか言って…?


不意に浮かぶ、潤の声。

衝動にかられるまま初めて抱いた日。
少し甘えるように呟いた。

あの、最後の日も…

二人で過ごす日々の中で、聞き分けのいい潤の発した数少ない要望めいた言葉。

結局、一回も答えずじまいだったな…



夏の思い出はあり過ぎて、今でもお前の笑い声が俺の中で歌うように奏でるんだ。

幸せな、音色をね。



はぁ… そういや俺…

「腹へってるな… 」

眩しい太陽はとっくに空の真上を過ぎて西に傾いている。

潤のメシが食いたい…
あの、なんて言ったっけ… 俺の好きな…

名前が出てこない。
もう… どうでもいいけど…



俺はムクリと上体を起こし、海に目をやった。

誰かに呼ばれた気がしたけれど、聴こえるのは波の音だけ…

瀬戸内に浮かぶ小さな島の小さな砂浜。
気まぐれに選んだ、観光地という訳でもないひっそりとした砂浜で、いるのは俺ただ一人。

そこへ、誰かがこちらに歩いて来る。
ふと横を振り向いた俺の方へと。

一歩一歩、ゆっくりと、砂を踏みしめながら。

誰かが、なんて嘘だ。見れば直ぐに分かる。


潤…?


いよいよ幻を見るようになったか。
会いたいと思う気持ちが、幻影まで見せるようになったみたいだ。

いや、でも…

ほんとうに…?


「潤…?」

「翔くん… 」


立ち上がる俺の目の前に、本物の潤が立っている。


「な…んで… 」

「ごめんね… 」








とつとつと話す横顔。
思いは次々と溢れる。

ひぐらしが鳴く夕暮れに、涙の乾くまで待たないで俺は潤のからだを掻き抱いた。


薄暗い部屋。
畳の上に脱ぎ散らかされた服。
乱れるシーツと荒い息。

潤が今ひとりで住んでいるという、小さな庭のある平屋の一軒家で、俺たちは会えなかった時間を埋めるように身体を重ねた。

潤、潤、潤…
ほんとうに、潤だよね?
ああ、俺は…


合間に風呂を浴び、メシを食べ、寄り添い合い、呼吸をするように唇を重ねる。

縁側の、食べかけの西瓜もそのままに、またお互いを求め合う。


「あっ… しょ、お… 」
「 …っ、じゅ… ん… 」


腕の中の恋人の、深いところまでこの身を潜らせ何度も揺さぶる。

夢じゃないんだ。

もう、もう、二度と俺の前からいなくならないでくれ。俺を、一人にしないで…

ぎゅうと抱きしめると同じように抱きしめ返す潤に、また涙が溢れてくる。

焦げつくように熱く火照った身体が、もつれ合って、絡み合って、切実なくらいにたぎる思いをぶつけ合う。

見つめるまなざしに昂ぶるまま、何度も抱いてひとつになった。







「…大丈夫か?」

強く抱きすぎたかなと思い聞くと、平気と言って微笑む。

俺の腕枕に身を預ける潤が愛おしい。
そうだよ。この感じだよ…
俺は肩をしっかり抱き寄せた。
こんな風に抱いた後… 好きが溢れてる時… 俺はどうしてたっけ…

綺麗に潤む瞳。微笑む口元。
あの日のあの時のように、潤の表情から期待と不安が入り交じるいじらしさが見て取れる。


「ね… なんか言って… 」

「愛してるよ」


間髪入れず、自然とこぼれた言葉。
ずっと言えなくてごめんな。

えっ、と聞き返す潤を抱きしめ、俺はもう一度言葉にした。

俺のこの気持ちを伝えたい。
何ものにも替え難い、お前は俺のすべてだから…




それから俺は、潤の家で何をするでもなくのんびりとした時間を過ごしていた。

今日は浴衣に着替えて縁側に並んで座り、水の張ったタライに足を浸して涼を取った。


「こんな小さな島で会えるなんて、奇跡だね… 」
「そうだな… 俺たち奇跡を引き当てたんだな… 」


俺は、満天の星を観たい、と思い立った。
潤の好きな星や宇宙を感じたかったんだ。
『日本の星空10景』を制覇してやろうと思って、まずは小豆島の星ヶ城に行くつもりだった。

海を見たら、なんだか遠回りしたくなってルートを変えてみた。
馬鹿みたいに歩いてあのでかい橋を渡ったりして…


「それで疲れてさ。砂浜が見えたから降りたんだ。あのままあそこで一晩過ごしてもいいやって思ってた」


聞いてた潤は神妙な顔になって、そっかと呟いた。
頭をこてんと倒し俺の肩に乗せると、手を取り指を絡めた。

そして、言った。


「もし… 今度、出会うことがあったなら、そしたら絶対に、もう絶対に、離れないと決めてたんだ」
「出会ったよ、俺たち」
「うん。だからもう、離さない。何があっても」
「うん… 絶対な… 」


離れられないんだ俺たちは。
これからはずっと、一緒にいよう…

晴れた空が目の前に広がる。
俺たちのこれからの日々を象徴するような、晴れやかなオープニングのような、どこまでも美しい空だった。




そして俺は潤と東京へ戻った。

東京駅の赤レンガの駅舎に着くと、なんだか久しぶりと言って潤は笑った。

住んでたマンションは売ってしまってあるので、俺は贔屓にしてるホテルに潤を連れて行った。
いつも使っているお気に入りのスイートが空いていたから、取り敢えずひと月分を押さえた。

高層ホテルの最上階。都心を一望出来る何部屋もある広い空間で、日常を忘れ寛ぐ事が出来る。

直ぐにいつもの専属バトラーがやって来た。
バトラーから潤にこの部屋やホテルの説明をしてもらい、その後、パーソナルダイニングの予約をした。

うやうやしくお辞儀をして出ていくバトラーを見送ると、潤は窓際に行って街を眺めた。

すごい部屋だね、と後ろの俺に言う。


「ベッドも大きいし」
「ああ。でも言っとくけど、あのベッドは一人でしか使ったことないからな」
「…ほんとに?」
「この部屋自体、誰も連れてきたことないから」
「僕が第1号?」
「そうだよ。唯一無二号だから」
「ふふっ。嬉しい… 」
「それよりこっち来て。乾杯しよう」


ソファーに沈み、冷えた白ワインを傾ける。
少し寛いでから、ダイニングへと行った。
東京タワーと増上寺を見下ろしながら、ランチに舌鼓を打つ。
やっぱり二人でする食事が美味しい。


部屋に戻ると潤がジムに行く?と聞いてきた。
なんだよ、元気だな。運動したいのか?


「そういう訳じゃないけど、体がなまってるから」
「体型は変わらないよ」
「そう…?」
「ああ」


俺は潤の腰を引き寄せ、寝室に誘った。
潤が大きいと言ったキングサイズのベッドに、二人して身を投げ、じゃれあいながら服を脱がしっこした。
そして飽きずにキスに耽った。
まだ部屋は明るいけど、二人してベッドのスプリングを軋ませた。


ディナーは部屋のダイニングルームでとる事ににした。
明かりを落とし、二人の好きな音楽を流す。
窓ガラス一面に夜景がキラキラと映って綺麗だ。

こんなに…


「綺麗だったっけ… 」
「ん?」
「あ、いや。別に」
「ねぇ見て、美味しそうだよ」


テーブルに着き、食事をしながらこれからの未来を語り合う。
二人で住む所をどこにするかとか。
仕事はどうするかとか。
二人で会社を興してもいいよな。
ゆっくりと話し合おう。時間はたっぷりとあるから。


「なんか、すごく楽しみ。幸せすぎて夢みたい」
「夢じゃないよ。夢はこれから二人で叶えていこう」


嬉しそうに頷く潤。
二人で笑いあっていこうな。

大きなベッドの真ん中で、その晩も抱き合って眠った。



窓の外が白みかけた頃、ふと目が覚めた。
目覚めて一番最初に目に入るのは、隣に眠る潤の寝顔。

見つめていると、潤も目を覚ます。
シャワーに誘うと、さすがに早いから寝ぼけた声で「行ってらっしゃい」と言う。

一人、バスタブから見る夜明けの空。
明けの明星、金星が見える。

一番星を二人で見上げたこともあったよな。
その時語った俺の夢。素敵だねと笑顔で聞いていた。叶えていいと言ってくれたのは潤だけだった。



その日は、シーフードが食べたいと潤が言うから、築地場外に行った。

美味しい寿司をはしごして、満腹になったから食後の散歩がてらプラプラ歩いた。
勝鬨橋から隅田川を眺め、もう少し海の方へ行こうかとなって、竹芝桟橋へと行った。
海を行き交う船を見ながら手すりにもたれてお喋りしてると、あっという間に時間は過ぎる。
レインボーブリッジが日没後のライトアップになるのをきっかけに、夕飯をどうするか決めた。

タクシーで潤の知り合いがやっている三軒茶屋の三角地帯の居酒屋へ行った。
わいわいと賑やかな店内で焼酎で乾杯する。
松本久しぶり!と言って、気さくな店長が焼き鳥をひと皿サービスしてくれた。
なんだか昔に戻った気分だ。

ほろ酔いの俺たちは、支え合いながらホテルに帰った。





そして翌日。不動産の内見の帰りに、ふらっと代々木公園に寄った。

広がる芝生に座り、見てきた部屋についてああだこうだ言い合う。
理想の物件てのは、なかなか無いものだよな。


「もう、造った方が早くないか?」
「ええ?(笑)」
「買ったあと中身ぶち抜いて、好きな間取りに造り変えるの」
「すごいね、それ(笑)」


いや、俺結構マジだけど。
俺たちの愛の巣なわけだから。


「一生いっしょに住む家だから、それくらいしたっていいよ」
「翔く… 」


そうだろ?
俺たちもう離れないんだから。



すると歓声が目の前であがった。
見ると芝生の上を駆けて行く若いカップル。
手にした凧がぐんぐんと空へ、揚がっていっていた。

それを、潤と見上げた。

気持ちよさそうに風を受け飛ぶ凧。

凧は糸を握った人のところへ、いつだって帰っていけるんだな…



「はあ… 気持ちいいな… 」
「うん… 」
「東京の空も捨てたもんじゃないよな」
「そうだね」


お前と見る空は、ただ青いだけじゃない。
思い出も見つめてきた、繋がってる空だ。


「もうじき誕生日だな」
「うん」
「何が欲しい?」
「ええ?えっとぉ… 」


くるくるまなこで考え出す潤。
いいよ。いくらでも考えて。
それがたとえ些細なものでも、俺たちの未来にきっと要るものだと思うから。

俺は潤が何を言うかな、と、芝生に寝転びながら、ゆっくりと考えた。






おしまい








このお話しの前にはちょっとした物語があります。それはまた、別の機会に。。。(*´   `*)



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潤くん。お誕生日おめでとうございます。
私たちを照らす、天使な潤くん。あなたと出会えてよかった。幸せをいつもありがとう。
潤くんが健康で、幸せでありますように。

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