しかし、その時取れたとしても
まだ戻る。それはどういう意味か。
人は霊の器だから
その霊がその人につくのは
その人の、想念に近いからだ。
早い話が、器がきれいでない限り
ろくでもない霊しか入り込まない。
たいていの人は、ろくでもない霊です。
低級霊を脅して追い出しても
おっかなかったなあでおしまい。
その人の、想念が変わらない限り無駄と言うことです。
つまり、信仰をしてもその人が
幸せでない限り、また暗い霊は取りつきます。
浄霊だけで、救われることは
皆無である。
だから、想念を明るくする必要もある。
取り付けないくらい明るくしてしまう。
そうすれば、近くに来ても悪霊は近寄れない。
それが、にせご神体であり、にせお屏風観音の
役目である。
しかし、神仏のご開運の祈りがなくなると
神仏もばからしくなっていなくなる。
だ゛から、何のおかけ゛もないのは
真剣な祈りがないからだ。
人を救うことは,けつこうだが、
力のないものがそんなに多くの人は救えるわけがない。
だから、自分のためにを必ず絡めなくてはいけない。
自分の前世と先祖のカルマの昇華など
信じないものは仕方ないが、
実際、首と頭の付け根あたりが
ぴくぴくする。
波打つ、頭がい骨の付け根というか
後頭部と言うか、延髄付近が
ぴくぴく動くことがある。
こればかりは、体験しないと解るまい。
浄霊の場合は、霊は逃げまわすが
カルマの昇華の祈りの時は
トイレの洗浄剤やお風呂の入浴剤
みたいに、しゅわしゅわと炭酸みたいに
解けでて来る感じがする。
耳から抜けていくこともある。
だから、概念は似ていても
全然違うのです。
両方して初めて変わるのです。
お手軽5分の明主様の浄霊だけでは
限界があるのです。
もちろん、人を助ければもつと効果はあるとは思うが
それは無理でも、せめて祈りの時間と
浄霊の時間がないよりはあった方がいいのは解るだろう。
変な霊に取りつかれたくなかったら
それらが近づけないくらい
まぶしくなればいいのは理屈ではあるが
それは無理です。
と言うことは、取りついた霊などは
昇華させて成仏させてしまうしかないということ、
相手は、聞き分けがないのだから仕方ありません。
これも、立派な人を助けて己助かるの
形と言うことです。
おそらく、永遠にそれが終わることもないし、
それがある程度進むと今度は他人にまで広がる。
他人にその方法を教える。
それも、立派なお救いではないでしょうか。
今日はこれくらいにしょう。
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