最終日は漢方薬や乾物、お茶の貿易で栄えた問屋街の迪化街へ。
英国式のお洒落な紅茶専門店へ
昔から問屋街として栄えていた迪化街。最も重要な輸出品は茶葉(紅茶)でした。台湾といえば烏龍茶のイメージが強いですが、実は台湾は紅茶の産地でもあり、実は迪化街にふさわしい楽しみ方の一つなのです。
今までの民家の茶館とは雰囲気がガラッと変わり、ヨーロッパの高貴なイメージのお店です。
窓から眺める風景がレトロな台湾らしい風景で、店内とのギャップがまた魅力的。
こんな素敵空間の紅茶専門店に入ってメニューを眺めているだけで、すでに紅茶の香りに酔いしれてしまいます。
日月潭紅玉(台茶18号)
台湾紅茶の産地として有名なのは南投県、日月潭(にちげつたん)の辺りです。このお店では代表的な産地の茶葉はもちろん、他にも広く扱っていてメニューには細かく産地と品種が紹介されています。日本語メニューがあるのも嬉しいです。
私は、日月潭紅玉(台茶18号)を注文しました。
英国式ポットとティーカップでいただきます。
スッとするメンソールの香りやリンゴのような香りが味わえる個性的で上品な紅茶です。
紅茶は特に中医でも、体が温まり心が落ち着くお茶として勧められますが、友人と話をしながら味わう紅茶は格別な味がして、心からリラックスできる時間が流れていきます
紅茶にサンドイッチも最高でした。
日本人が育てた紅茶
何気なくメニューを見て選んだこの紅茶。実はこの紅茶は、長い年月をかけて作られた品種で、日本との関わりも深い紅茶だったのです。
開発は日本統治時代の1930年代に始まりました。
当時、日本人農業技師の新井耕吉郎がアッサム種の茶木を日月潭に持ち帰り、
台湾国内に自生していた野生茶樹を掛け合わせて品種改良を進めた品種でした。
この地域の気温や山の傾斜などを見て、紅茶の生育に向いていると確信したそうですから、本当にすごいですね。
戦争が終結したあと多くの日本人が台湾を後にしますが、彼は妻と子どもだけを日本に帰し、本人は台湾に残って研究を続けたそうです。しかしその翌年、マラリアにかかり、志半ばにして42歳という若さでこの世を去ってしまいます。
敗戦後も台湾に残り、茶業のために貢献を続ける道を選んだ新井耕吉郎は
今でも現地の人々の尊敬を集め
日月潭にある記念碑に手を合わせる人は後を絶たないそうです。
品種改良は新井耕吉郎の死後も台湾人技術者の手によって引き継がれ
日月潭湖のほとりに製茶試験場が設置され、台湾紅茶研究の中心地となりました。
日月潭紅玉(台茶18号)。ルビー色の湯色、特徴的な香りが魅力で、一気に台湾紅茶の評価を高め、今では台湾を代表する紅茶として定着しています。
今も、「紅茶の守護者」として新井さんの名前が伝わっているのだそうです。
迪化街に来て紅茶を味わうことがなかったら
一生知ることもなかったかもしれない
日本人農業技師の偉大なる功績
また一つ、先代の想いを馳せながら、
心を込めて淹れたいと思うお茶に出会うことができました
「ASW Tea House」
台北市迪化街一段34号2F
最後まで読んでいただき、ありがとうございます
お茶タイムで、今日もほっと一息