日本の茶道と、中国茶、
歴史的にも大きなかかわりのある二つの文化ですが
中国茶の龚先生は、この文化の違いについて授業中よく話題にあげます。
中国茶マイスターの先生ですが、日本の茶道への造詣も深くて熱心に研究されています。
ある日、お茶の世界は置いておいて、日本と中国の違いを一言でいうと?
と、聞かれたことがありました。
とっさに頭に浮かんだ言葉が『随意』
お気の召すまま、お気楽に、ご自由にというような意味合いなのですがこの言葉を最初に教えてくれたのは義父でした。
お嫁さんだからといって堅苦しくなることはない、『随意』が大事だよ。このことを覚えておいてね。と、新婚時代にメモをとりながら熱く説明されたことがありました。
その後、上海に来てからも何度も聞くこの言葉。
ある時は、気楽で居られることに有難く感じ
ある時は、いい加減な曖昧な表現に拍子抜けしたり
中国の良さも悪さも、含めている言葉だと思ったのです。
それに対して、日本は規律や決まりを大事にする、その部分が違うと思うと答えました。
これは、お茶の世界でも同じことがいえるかもしれないと先生。
ある一点に絞られて、礼儀や作法を追及していく日本の茶道の世界
多様性のある多くの点から始まって、自分のものに体得してく中国茶の世界
追及するポイントが違います。
数多くのお茶を味わいながら体得していきながら自分の中で消化しながら、感じたことを言葉に出して感想を伝えるのが中国茶の世界。でも私は、中国語力の問題かもしれませんが、自分の感じたことを言葉で表現するということに慣れていなくて、美味しい美味しいといつも頷いてばかりでした。
そんな私を見ながら、毎回同じコメントで本当は何を感じているの?と笑われてしまいます。
まずかったらまずいと、そしてどんな部分がまずいか言わなくてはならないのです。
でも茶友に淹れてもらったお茶に対して、ぶつぶつ言うのもどうかなーとか、正解はどうなんだろうかとか
今思うと、そういう探りを入れるような他人の視線を気にするような気持ちもどこかにあったように思います。
茶道の世界では、たとえまずく感じたとしても礼儀のために感謝の気持ちで美味しかったと伝えます。
どちらが正しいとかいいとかという話ではなくて、追求している点が違うのです。
縁があって、ここ上海で日本の茶道と中国茶のお稽古に参加することができて、正に日本と中国の違いを感じる瞬間でした。
『随意』の話を、日本の茶道の先生にお話ししたところ
お気楽にといって、勝手気ままと言うよりも、先ずは気楽になってもらって、おもてなしをするという心があるように思う。一度仲良くなると食事やお土産やとても温かく迎えてくれる。
欧米の方に茶道のお稽古でおもてなしの話をしても中々伝わらない部分があって大変だったけど、中国の人にはすぐ伝わるから教えやすいというお話を聞かせてもらいました。
大事な人に美味しいお茶を味わってもらいたい、その1点となる出発点とも言えるコアの部分は、日本と中国で共通するところなのかもしれません。
異文化の違いを感じつつ、次に東洋文化として共通するコアとなる部分を教えられた瞬間でした。
中国茶の先生は30歳の若い中国人男性の先生で、日本の茶道の先生は60代の日本人女性の先生です。国境も性別も年齢も教えているお茶自体も異なります。
それでも、お二人とも自分のお茶の世界を深く追及して確立しながらも、他の文化を知ろうとする探求心と謙虚さがあり、何よりお茶への愛情がとても深いです。
私は上海生活も長くて、感覚で日中の違いを嫌というほど感じることはあるのですが、言葉に出してみたり、歴史や文化的な視点で検証してみたりということは今までほとんどなったように思います。