清明

 

時期 4月5~6日前後

 


 

 

 

 春風が吹き、暖かくなると、空気は新鮮で爽やかになり、天地は明るく、清らかになります。桐や桃の花など、花々が咲き乱れ、雨の後の虹を見ることができる時期とも言われます。また、中国ではこの日は、墓参りにいく風習があります。

 

私も毎年、旦那さんの実家のお墓参りに親戚一同で出かけて、お墓参りをして、その後はみんなで食事をします。中国のお墓はだいたい郊外にあるため、普段なら車で1時間の移動となるのですが、渋滞がすごくて2時間ぐらいかかってしまいます。そして、毎年決まって、雨か花曇りの清明節雨くもり

 

清らかで明るい、という気持ちよりも正直、私的には曇っていて混んでいて身動きがとれないイメージのこの時期。そんな私の気持ちとは裏腹に、そのお墓の周りには、菜の花や桃の花などが一面に咲き乱れ、お墓に生けるお花も色とりどり、満開に咲き誇って露店に並べつくされています黄色い花

きっと、そんなエネルギーに満ち溢れた花々にも圧倒されてしまうのでしょう。その堂々とした大きな花の存在感になんだか萎縮してしまうのです。

清明節は、春になって草花が生えてきて、動物達が動きだす頃。ネズミがお墓を荒らしていないか、お墓を掃除して雑草抜きをしたりすることが一番大事とされてきました。そのため、今でも中国では清明節のことを、「掃墓」と呼ぶ人も居ます。一気にエネルギーが芽生えだすこの時期だからこそ、ぬいたり、はいたりして掃除をすることが大切だと考えられてきたのかもしれませんクローバー

そういえば、日本では昔の人はこの時期を「木の芽時」といって、木の芽が生える時期が人の心や体調が、一番病気になりやすいときだと、警戒していたとか。実際には、気温の寒暖差が激しく、行事も多いため 状態が不安定になりやすいということ。

ただ、私はもう少し別の解釈もあるのではないかと。。。この時期の溢れるばかりの生命力に心が参ってしまう部分もあるのではないかと思ったのです。
日本でも上海でもお花見シーズンのこの時期なのですが、いろんな生命が満開となっている時期だからこそ、不要だと思う物を掃きだして溢れ出すエネルギーの整理整頓・断謝離をすることが大切ではないかと、清明節の話を聞きながら感じました。

 

そして実は、この清明節には、清く明るくあるという願いも込められた、その発祥にはとても深い伝説があったのです

 

(春秋時代の十二列国の一つ)の公子、重耳が亡命の途中、食糧が尽きてしまいます。彼は体力が消耗してもう立ち上がることもできません。すると従臣の介子推は、内緒で自分の太腿の肉をこそぎ取り煮込んでスープにして主君に食べさせました。おかげで重耳は元気を取り戻し、何十年後には君主の座に即位(晋文公)することになります旗
ただ、介子推は周りの臣下たちが権勢争いを始めたことに嫌気がさし、綿山に身を潜めて暮らしたのでした。晋文公介子推を惜しんで自ら会いに行きますが捜し当てるのは容易でありません。そこで臣下に命令して火を放して探し当てようとしますメラメラ
山火事の鎮火後、晋文公柳の古木の洞で母と抱き合って焼死している介子推を発見します。そして彼の遺言を見つけます。そこには
「割肉奉君尽丹心, 但愿主公常清明」


「我が肉を割いて君主に奉じたのはまさに忠誠心からに他なりません。ただ我、君主の常に清明なることを願う。」
晋文公介子推の固い決意を見抜けなかった自分を悔やみ慟哭し、その柳の枝を一枝遺体に添えて納棺します。翌年、慰霊に山を登ってくると、焼け枯れたはずのあの柳の老木が青々と育っています。これを見た晋文公はここに「清明節」と定めたそうです。

 

澄みきった青空のような心で物事を見ているかと、まるで今でも我々に問いかけられているような清明節---。綺麗で明るいだけではない、そこに秘められた教えのようなものを感じます。来年からのお墓参りや清明節の過ごし方が変わりそうです。