家の近くにある、上海現地の文化教室で前から興味のあった中国茶を習うことに。レッスンを始めて、3回目のテーマが「成都の茶館」のお話でした。

お茶のふるさと言われる四川省の成都は、茶館も多く古くから愛され続けたかつての佇まいをそのまま残す老舗の茶館があります。
ここでは、1元を無人カウンターのお皿に入れるだけで、何杯ものお茶をお代わりして飲むことができます。


広い昔ながらの茶館に、机が並び尽くされて、そこに百人ぐらいもの人が腰掛けて自分のマイカップに茶葉を淹れて、ワイワイガヤガヤとおしゃべりをしたりトランプをしたりして楽しみます。長居しても大丈夫、お茶がなくなったら、叔母さんを呼んでまた、お湯を継ぎ足してもらう。
大昔から、まったく変わらないこのスタイルが、ずっとここ成都では受け継がれているのです。

ネットもテレビもアトラクションもまったくない、利害関係もまったくない社交の場。
その広くて高い天井のスペースに人々が密集してお茶を飲んでいる様子に圧倒されるのですが、大きな扉は常に全開しており、誰でも気軽に入ることができます。犬や猫も入り込んできます。

お茶レッスン中に先生のパソコンから画面いっぱいにその様子広がって、おじさんおばさんのパワフルでいきいきとした表情に、またその様子が懐かしく甦ってきました。


思えば、今から14年前。上海へ移住してきた1年目に、龍井茶で有名な茶畑へ行ったことがありました。上海出身の夫の母親の故郷だったという塖州市貴門郷後宅村へ上海から電車とバスで6時間かけて、1歳と4歳の娘と義母と女4人で遊びに行ったのです。そこは別世界。山地にある村なので窓を開けると雲が下に漂っています。


義母も何十年ぶりの故郷に帰省ということもあり、夕暮れ時になってしまっていたのですが、ご近所さんへはアポなしで、大きな屋敷一軒一軒を、電灯の灯りを頼りに訪ねていきます。
お茶の作業場として門がオープンになっている土間から、気軽にそして、チャイムがないので大声で声をかけながら、どかどかと中へ入って行きます。
もう、よぼよぼになっているおばあちゃんが居たり、新婚さんに赤ちゃんが生まれていたり、その久しぶりの再会に義母は喜び、抱き合いながら、お嫁さんだと私が紹介されます。
突然のことで何も用意ができていないと言いながらも、みんな温かく、お茶を淹れて迎入れてくれます。摘み立てのお茶の香り、山の清流で淹れた、香り高いお茶。

そして、何回もお湯を継ぎ足してくれます。何軒も周りながら、全ての家で同じようにお茶をもてなしてくれるので、もうお腹の中はたっぷたっぷです、、、

でも、このシンプルで気取らない、そしてとても温かな中国の人たちの笑顔と美味しいお茶の香りが、上海に着たばかりで緊張していた私の心をゆるくほぐしてくれました。
いつの時代になっても変わることのない、脈々と受け継がれてきた交流がここにはあり、そしてきっと、この人たちは何十年経っても、このようにお茶を淹れてもてなしてくれる事だろう。
そのことに感動した、お茶の出会いとなったのですが、

上海へ戻って、それからの日々生活となると、異文化ギャップに悩み戸惑い、イライラすることも多く、おせっかいで、自己主張も激しく、好き嫌いもとってもはっきりしている中国の人たちに対して、時にそのパフォーマンスが激しすぎて、避けたくなることも多々あります。
嫁姑問題だって避けられないし、口論になることだってよくあります。

それでも、この成都の茶館の映像を見ながら、「遠いところから、良く来てくれたね」と、声をかけてくれながら、何回もお湯を継ぎ足してくれて、今から思うと、仲間と認めてくれたからこそ、大事な茶葉を分けてくれたのだと。そして私のお茶が無くなってはいないかと精一杯気にかけてくれていたのだなと、その大地のような温もりが甦ってきました。
お茶を淹れてくれるというのは、当たり前のように思えるけど、実は最高のおもてなしだったのだなと後になって分かってきたのです。


また、暗闇の灯りを頼りに、孫を抱えながら私の手を取りながら、一軒一軒嬉しそうに逞しく訪ね歩いていく、その義母の後ろ姿に圧倒された頃の自分を思い出しました。

異国でがんばってきたと、自分の努力や力だと思いがちになるときもあるけど、
本当は、目に見えないところで、たくさんの笑顔や愛情や心配りにサポートされてきたんだろうなと、40歳を過ぎたからこそ、感じ取られる愛情もあるのだなと、中国茶を飲みながらしみじみと感じるこの頃。


私にとっての中国の原点はあの時の、お茶の旅だったのかもしれない。
上海の生活も慣れて、娘たちも大きく育った今、中国茶の教養をじっくりと深めながら、一期一会を大事にしていきたいキラキラ


そんな思いで、ブログも綴っていけたらと思っています音譜


後宅村