母は、とても気のきつい人でした。


いつも強くて、悩みを相談しても、
『そんなことで』
と片付けられることが辛くてたまりませんでした。



私が母より強かったら、私だってこんなに悩んで苦しくなったりしない。


でも、母も悩みを私達に見せないだけで一人で頑張っていることも知っていました。


私が1番母にしてほしかったのは、私達に向ける『笑顔』でした。


離婚する前も後も、母は私達に本当の『笑顔』を見せたことなんか一度もなかった。


いつもちょこんとすわって、涙を流したり、じっとしている母。
時折私達が欝陶しいようにも見えました。


夫婦や色々うまくいかないと、当たり散らす矛先の行き場がないと、私もそうですが、『喪失感』や『孤独』、『虚しさ』で沢山になって、ボーっとしたり、考え込んでしまいます。



子供に邪魔されたくない時間なんですよね。そういう時。



自分しかみえてないから。


そんな母に沢山笑ってほしくて、テレビや学校のことを面白おかしく話して母を笑わせてました。


笑わせることにものすごい必死だったんです。



母に幸せだ、私達を大事に思って欲しくて。



でも時折、母も
『疲れてるから静かにして』
と話しを聞いてもらえなかったり、酔っ払って延々話しを聞かされたり、母の都合で話をされるのが、私には辛くてたまりませんでした。


でも、聞いて母が楽になるならと、一生懸命励ましたりしました。


でも最終的には、



『お前はお父さんの家族にも気に入られてたんだから、ついてこなけりゃ幸せになれたんじゃないの?似たような顔して。たまにふっとお父さんと同じ顔するからむかつくんだよ。』


と、いきなり私にチッと舌打ちをして吐き捨てる姿をみて何度涙をこらえたかわかりません。


それでも私は、
『お母さんが好きだから、お母さんと居たいよ。』

と笑顔でいいました。


きっとお母さんは、私が不憫に見えたのかもしれません。


母子家庭で、好きな物も買ってやれない。お母さんなんか好きじゃないかもしれない。確かめたい。



そんな気持ちからそんな言葉が出たんだなと思いました。



母との生活は私にとって、幸せでも不幸でもなかった。でもその平凡がよかったんです。



これがまた、一気にくずれさるなんて思いもしなかったんです。