両親の離婚を初めて認識したのは、祖母(母方)の態度でした。


母はまだ父を好きな様で、よりをもどそうとしていました。


しかし、祖母が電話をとりあげ、父方の祖母から電話がかかってきたのを私がとると剣幕怒りました。


『お母さんとお父さん、もう一緒にいられないんだ。』


とおもいました。


離婚後の母はとても幸せには見えませんでした。


寂しい気持ちや、実家に出戻りだからと世間体を気にする祖母に家にいれば小言を四六時中言われるようになり、そのストレスから、パチンコに逃げていました。



その母がいない間、祖母からまた母のようになるな、母はとんでもない馬鹿だと私たちは毎日聞かされ、とてつもなく苦しい日々が続いたのです。


そして、母はたまらず、雇用促進住宅に私たちを連れて引越しました。



私はこれで少しは母が家にいてくれる。そんな風に安心したのもつかの間でした。



母は夜には外出、仕事に出るようになり、妹と私は家に残され、毎晩寂しい気持ちになりました。


そして、祖母からの電話が恐怖でいられませんでした。



母の疲れや、今までのストレスを酒を飲んでは私達に当たるようになり、父を恋しく思うときさえありました。



お母さんを助けて。



お父さん、助けて。



枕に涙がポタポタ落ちる音を聞きながら眠りにつくようになりました。



そして、中学校三年生の時、突然なにかが弾けたように、私の体に変化が起きました。



ご飯を食べようとすると吐き気、息苦しい、頭がくらくらする。



吐くのがとんでもなく怖い。吐きたくない。嫌だ、苦しい。



過呼吸と嘔吐恐怖症の始まりでした。



その時私は学級委員として、外国からの留学生をもてなすために仕事をまかされ、たくさんの不安や疲労がありました。



いきなりその会食の時に症状が悪化。


保健室にいったあと、病院にいくと、『精神的ダメージによる過呼吸と、嘔吐による恐怖症』と診断されました。



私の母はよく酔って帰って来ては苦しい、苦しいとトイレで吐いたり、病院に行きました。


それがトラウマになってしまっていたのです。



それを母に打ち明けると、母は、

『気の弱い子だね。そんなんでどうする。』



と、怒られ、いつしか母に恨みを持つようになってしまったのです。