毎日私は色々考えるようになりました。


当時、借金は主人が300万、私が500万まで膨れ上がり、借金の支払いも、保育料も払えない、税金や、家賃さえ払えない、電気がとまる事も出てきたのです。



それでも主人は給料をくれない会社に行っては子供といる生活を変えませんでした。



私はパチンコ店に勤務することになり、それ以上は難しいとドクターにも言われました。



しかし、主人が勝手に組んで買った車(ランエボというスポーツカー)の燃料代も馬鹿にならない。私は主人を無理矢理会社を辞めさせました。



生活ができなければ意味がない。ましてや、息子にまで被害が及んでいる。



我慢の限界でした。そして、クリーニング屋は総額残り50万の給料を支払うこともなく、今の悠々と経営しています。



主人はそれから仕事を探しにいくものの、長男が産まれる前の様に仕事選びに手間取りました。



私は苦悩しました。



そして市役所、児童相談にいったのです。



『今の状態でお子さんを育てていくのが困難であれば、乳児園(施設)に預けたほうがよろしいのでは。』


この言葉をきいたとき、『最低だ。なんて計画的じゃなかったんだろう。どうして守れなかったんだ。』


頭の中が真っ白になり、車に戻ってから号泣しました。


『私は頑張ってなんかいなかったのか。主人は子供の面倒を見てくれている。優しいかもしれない。でも、あたしは仕事しか出来ない人間なのか。母親なんかじゃないのか。』



子供を欲しいが為に作って、授かって、この世に産み落としたのにも関わらず、子供の為に何一つ親らしいことが出来ない。


自分に苛立ちと虚しさ、そして、孤独がうまれました。


帰れば子供は寝ている。主人はゲームやテレビに夢中。


私は、離乳食をつくり、主人と自分のご飯をつくり、お風呂に一人で浸かって寝ていました。


ストレスの矛先の行き先が無く、毎晩毎晩、考える事は、


『借金どうしよう。弁護士は金がいる。』
『滞納してるものはどうしよう。』
『このままでいいのか。』

そんな不安ばかりが頭いっぱいで眠れない夜が続き、ついに、また掛け持ちを始めたのです。


仕事をしてお金をかせぐしか私の不安解決にならなかったからです。