平成18年、5月23日。


初めての子供。一成。


27時間の陣痛に耐え、ようやく出会えた我が子。

3150㌘、正常。


産んだ後、可愛い、大事にしよう。


そう思った頭の片隅の中に、私は沢山の思いを抱きました。



『大変な事をした。』

『まだ自分が立派でも一人前でもないくせに、一人の人間を育てられるのか』


不安に掻き立てられたのです。


私が子供が欲しかったのも、私に『唯一の理解者』が欲しかったから。


寂しさを埋めてくれる子供が欲しかったのです。


もちろん、宝物です。


私は母子家庭に育ち、寂しい思いをしてきました。


時に母親に怨みをもったこともあります。


母親はあまり私達姉妹といたがらなかったからです。


それから私は友達ともうまくいかない、高校でも一匹狼で、心通じ合う友達はたった一人でした。


そして、いつしか自分の寂しさも埋めようと『彼氏』を作りました。



それが一成の父でした。


しかし、結婚しても妊娠七ヶ月まで同居せず、無職。


私は産む三日前まで働きました。



生を持って産まれて来た一成を見て、『大丈夫、お前はママがまもるぞ。』


そう心に誓いました。


しかし、産後入院して三日目、主人に告げられたのは、『実は、勤めていた会社をとっくの前から行っていない。収入が全くない。』と聞かされました。



入院する一ヶ月前、主人は仕事を見つけたと行っていたから、私は働いているものだと思いました。


しかし、働いていなかったのです。


私は大手企業に勤めていた為、産後の手当等貰いましたが、主人の借金を肩代わりした分の支払いに回さなくてはならなくなり、お産代金は分納に。


一成を産んでから一ヶ月で、土日のアルバイトにでることに。


アパートを引き払い、母の実家で同居。しかし、母の実家の祖父母から嫌がらせを受け、県営住宅に転居。



三ヶ月にして保育園に入園。



そこから、主人はクリーニング屋に勤めだし、私はそのクリーニング屋の事務として勤め、足りないのでスポーツショップに昼から夜まで働き、帰ったら家事を済ませ、仮眠、2時から明け方まで新聞配達をしていました。