「これは言っちゃダメでしょ。」


と、これまで抑えてきたことが
何もかもめんどくさくなったので
チャンスがあれば全部話そうと決めたのです。


キッカケは、メモ的に投稿したこれ。




コメント下さった方がいて
反応があったことに嬉しかった。


と同時に


なんでこんなこと思うかって、
これ読んだだけじゃ絶対分からないよね❓


て思った。

そりゃそうよ、何の説明もなしに
分かるわけがない。


なんて偉そうな❗️ガーン


なんならこれだけ見れば私
にわか哲学好き変人みたいに 
思えるんじゃないか。


…ヤダな。と思った。


だってわたし
物心ついた頃から教会に出入りし
浴びるようにありとあらゆる「教え」を
聞かされてきた。



ガチ宗教二世として、思い出せば怖いくらい
色んな話を幼い頃から
浴びるように聞かされてきた身。


そりゃアトピーにもなんだろニヤリ


子どもにとっては不自然極まりないって
今子育てしながら思うもん。



毎週日曜日は
朝詣りで教会へ連れて行かれてたし


1のつく日は
平和の日・先祖の日・感謝祭

と、月に3回はお詣り。

だけじゃなくてさ

「100日詣り」とかいう
キャンペーン的なのが年に何度かあって
近所にあったのは支所だったから


土日は30分とか1時間とかかけて
隣やその先の町にある大きな教会まで

朝の5時から出かけていって
奉仕作業のち朝参り&朝ごはん。


なんなら平日朝だって
6時に起きて父親と弟と一緒に
支所に出かけて、朝から経典をあげて
お詣りの証のシールを貼る…


てのが、恒例だったのです、
物心ついた頃から。


私みたいな子供は何人かいたから
友達や顔見知りになって
それも嫌いじゃなかった。


その後、その宗教法人の定時制高校へ進学、
内部で働くことになる。


できるだけお金をかけず親に反対されず
家を離れたかった私にとって
条件がちょうど良かったから。


その宗教が好きで、ってわけじゃない、
ただ、環境があったから。


大本庁と言われるところで働き
寮生活をしながら学校に行き


その後、系列会社に就職し
一年でやめたけれど
色んな宗教関係者を見た。


宗教と信仰と教会活動は
全く別のものだということにも気がついた。


根っからそこで育ってきた私は
やめたいやめたい、嫌だ嫌だと
二世仲間たちと言い合いつつも


教会関係者との人間関係に
散々嫌な思いをしつつも 


実際に辞めるまで
さらに10年かかった。


内部で働いていたので
いつでも簡単に辞められると知っていたのに
思ったより長くかかったのは


目上の人間関係に失礼があってはいけないと
礼儀を重んじているうちに
絡め取られてしまっていたからだ。


とはいえ、葛藤だらけ
周りを見ても矛盾だらけでナンジャコリャ❗️


他宗教との交流会や、勉強会にも参加したし
自分であらゆる宗教の本を読み漁り


なんとか正解…間違ってないんだ
と思い込もうと必死だったけど


嫌な人が嫌なことばかり言ってくるし
思い出したのは


そもそも自分が好きで選んで
入ったわけじゃないのに⁉️
てことだった。


文句があるなら
私が辞めればいいんだびっくり



と気づいて辞める連絡をしたら
何もかもが、あっさりと終わった。


一応親が会費を肩代わりしていないかと確認して
私の長い宗教生活は終わった。


と思ったけれど、そう簡単に 
30年間の洗脳は解けないものだ。


10年も前に辞めたし、更に親とも縁切ったけど
人生のド頭から半分以上
ズッポリ関わってきたので


気を抜くと人間関係のほとんどが
宗教関係者になり得てしまう。


とにかくこれまでの人生のなにもかもに
外野がうるさかったんだと気がついた。


自分でまっさらなところから考えたことが
果たしてあったのかしら。


自分を信じるってなんだろ❓
世界ってほんとはどんな場所なんだろ❓


ってのを、今も
子育てしながらやり直しているのです。


男女関係とか家族関係とか仕事とか
果てはセルフイメージまでもを
再確認&再構築中。


やめた後にも
人間関係のしがらみは続いたけれど


妊娠中にめちゃくちゃムカつくことがあって
それでもう、キッパリバッサリ関係を断ち
関係者の電話番号はブロックし


それから今でも
断捨離と取捨選択は続いてる。


だってさ、知り合いのおばあちゃんとか
友達のお姉ちゃんとか
高校の先輩とか
親戚とかいとことか


その前には親もそうだしさー


もう、人間関係気にしてたら
がんじがらめの宗教二世よムキー


今も内部で働く知人や
引き続き入信している友達や先輩も親戚もいるし


弟は会費を家族全員分年間請求されていて
辞めたいんやけども〜


と言いつつ、キッパリ辞めるとも
言えず引きずっているらしい。


私には、その宗教を信じ続けている彼らが
どうやって
娑婆と折り合いをつけているのか
聞いてみたい気持ちもあるけれど


信じたいものは自由だし
人間関係が良好で本人が好きなら問題はないので、特にそんな話をしたこともない。


あれって一体、なんだったんだろ⁉️


と考えたら、ただ親の趣味に
付き合わされていただけ。



しかし、自分が母になるにあたり
あらゆる常識を疑うところからの
子育て生活が…(妊娠中から!)スタートよ。


元ダンナもその家族も、占いを信じる程度で
宗教活動とは無縁の日本人家族。


分かってるつもりだったけど
世間と自分とのズレに驚きを隠せず。


価値観の落差を言語化できないし
誰に言っていいのかも分からないし


言っても絶対に分からない
価値観の落差の谷間に挟まれた
「嫁」の私は


全方位に向けて
1人で闘いを挑むしかなかった。


比喩じゃなくてね。


結婚して新しい環境で妊娠出産したら


当たり前のように
宗教活動が浸透していた


幼き私の日常や
それゆえの価値観にまで遡って


全然別世界の価値観を待つ
元夫や彼の家族と
話をすり合わせる余裕なんて全くなかった。


だって、そんなもの(価値観)
知られてい「ない」のだから。


私が目に見えて外国人だった方が
分かろうとしてくれたんじゃないかと思う。


それくらい日本には
「宗教」の文化がなかったし


オウムやらなんやらで振興宗教は怪しい
というのが一般的概念だったから


一般の人には話すことも聞くこともNG。


昔の高校野球で名の知れた団体であっても
宗教団体だと知る人すら少なかったと思う。


ところで、子育てって
子供の頃の自分の振り返りの連続じゃん❓


自分の当たり前について
考え直すことばかりなわけですよ。


子供の頃の私の環境の不自然さは
無宗教も同然のダンナを見れば明らかだし
違いすぎて普通に話す気にもなれないし


ドン引き確定・説明大変なのは
経験済みなので
娑婆では黙ってやり過ごしてきた。


自立心の強い宗教二世の孤立。


ところが、かなり前になるけれど

村上春樹の「1Q84」が出た時の
衝撃と暗い共感がものすごくて


言わないし言えないと思い込んでいた
宗教ベースの過去の扉に、亀裂が入った。



あの本が出てから…約20年かな?


元旦那と出会った頃
ちょうどこの本が 
文庫化されたところだった。


春樹好きの彼と色々話したけど
私たちの感想はかけ離れたものだろう。


だけど私、ほんとはいつか
話したいと思ってたんだ。


例えば、青豆さんみたいな語り口で。


ふとしたメモ書きですら
ちゃんと説明しないと
にわか哲学変人みたいでしょ❓


ああもう‼️ムキームキー


っとモヤつくのが嫌で
きちんと説明することに決めた。


じゃないとほんとに
ただの変人にしか見えないし
育った環境は変えられない。


子供の頃から幼稚園や学校で
変な人だと言われてきたし
それに甘んじてきたけれど


そう思わせていたのは
気持ちや状況を説明できず


モヤモヤしながら色んなことを
スルーし続けてきた、私のせい。


ていうかさ❗️
子どもだったんだから仕方ない。


世界の真実、と言われるものが
いくつも立ちはだかっていて


経験も知識もない子どもの私には
説明も質問も、とても難しかったんだ。


宗教狂いで、さらに
ASD積極性奇異型、という
分かりにくい発達障害の母親と


その伴侶にありがちな
スルースキルばかり高く


長女の私に
母の精神的八つ当たりを全部押し付けて
逃げ生き延びている


パッと見、ちゃんとしてそーな父親。


両方ともコミュ障。


最近までそんな彼らを
恨んでたところがあったけど


ファシズムの気がある母親が
オウム真理教や日本赤軍ではなく


かなり穏やかな類の宗教に縁あったことは
不幸中の幸、というか


かなりラッキーでもあったな、と
思うに至る今日この頃。


宗教二世も様々。
だけどそれって、みんな持ってる


親の呪い。


嫌だな、と思うたび、自分を知る。


それは話すのもめんどくさい
私の冒険物語のベース。


だから、まぁ正直楽しんではいるよね。


でさ。
本音を言えば。


こんな過去と考え大前提の私と
話したいって思ってくれる人がいたら
世の中にいたら面白いのになぁ…


って思ってる。

上から目線でも
下から目線でもなく


対等に話をする、ってことに憧れるんだ。


だからこんなサービス始めます。
話したい方、お待ちしてます。




相当めんどくさ前提の私なので
どんな話でもフラットに聴ける気がして。



言葉にしていないあなたの物語
話してみませんか❓



きっと新しい世界が始まるよ。