精神世界は「海」に似ている。
 
例えば瞑想などで起こる「変性意識」は、
 
それがどんなタイプの意識拡大にしろ、
 
深海に潜るようなものです。
 
海の中に入れば、
 
すべては一つ。
 
右の水と、左の水と、上の水と、下の水に違いはない。
 
すべて、水。
 
そして、その水圧と、
 
日の光の差さない暗闇の中で、
 
自分自身も海となる。
 
世界に溶けていく。
 
世界と一つになる。
 
そこには愛と呼びたくなるような、
 
優しさと「至福」を見出す場合もあるし、
 
そこに闇と陰鬱とあらゆる幻想の権化の「虚無」を見出す場合もある。
 
どちらも、同じ。
 
しかし、そこは深海。
 
人の生きていけぬ世界。
 
 
だから戻らないといけない。
 
もし戻らなかったらどうなるのか?
 
至福に包まれて肉体が臨海に達することもあるかもしれないし、
 
虚無の精神を抱えて、砂を噛むような味気ない世界で生きていくことになる。
 
 
私はかつて、虚無に落ちたことがあり、
 
その苦痛なき苦しみを知っている。
 
人生を体験する自己が不在の生は、
 
ある意味真実に近い場所にいるのかもしれないが、
 
それは人生の意味がない。
 
 
迂闊に踏み入ると、
 
稀にそのようなことが起きる。
 
海辺で遊んでいたつもりが、
 
インショアホールという、窪みに落ち込んだり、
 
遠浅と思ってたら潮流に流されたりするように。
 
もしも深く潜りたいのなら、
 
深く潜れるダイバーと共に行くべきだし、
 
そこにはしかるべき訓練や知識、修練が必要になる。
無防備で、知識なしでそこへ行くのは、
 
危険なことでもある。
 
浅瀬で遊んだことしかなくても、
 
世の中には深く潜る方法のレクチャーがされているケースがあり、
 
普通ななかなか起きることではないが、
 
稀に、落ち込むこともある。
 
だから、自分の中に入るときは、
 
慎重に、丁寧に潜るのです。
 
 
 

 

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