引用します。
一時期、
一世を風靡した(してない)
「がんばらなくてもいい」
というものですが、
これは
「がんばる」
ということそのものを
否定したものではなくて、
「なんのために」
という、
そもそものところが
間違っているものについて
「がんばらなくてもいい」
と言っていたものだと
僕は思っています。
こちらの、上さまのブログ。
このブログの本筋からは外れるんですが、
これを読んで、
思い出したことがあります。
上様の言う通り、
心理、自己啓発やスピリチュアル界隈で、
した、
がんばらなくていい
理論。
これ、僕も確かに救われましたし、
目から鱗でした。
頑張り過ぎていたけど楽になった、という方がたくさんいたと思います。
しかし、それと同じくらい、
いや、その倍くらい、
この理論を拡大解釈をする人もいたなぁと思います。
例えば、
「仕事」
ってものは、時間って大事です。
どんな仕事でも、一人ではありません。
クライアントがいますし、
一緒に共同作業したり、
そうなると、すべてに「時間」が絡む。
納期にしろ、営業時間にしろ、それに合わせてやっていかないとならない。
僕がやってることは、ある種の「イベント業」とも言えますが、
イベントな以上、お客さんは時間でやってきます。
で、思い出した話。
とあるイベントで、
一緒に企画運営をする人がいたのですが、
その人は、イベント当日、
遅刻してきました。
その人は、自分から「主催をやりたい」と名乗りを上げて、
実際のところ、事務作業も何もしてないのですが、
一応「主催者」として、
イベントを仕切っていた(らしい)のだけど、
当日、会場設営や準備の時間に遅れてきたのです。
「僕、朝弱いんです」
謝りもせず、椅子などを設営する僕ともう一人の登壇者に向かって、
しれっとそう言いました。
呆れてものが言えませんでしたが、
これからお客さんが来てイベントです。
良い雰囲気で迎えたいので、
何も言わずスルーしました。
その人は、思い切り「がんばらなくていい教」の信者だったことは確かです。
そんな話をしていたのも覚えています。
「がんばらなくていい」教の信者たちに、
その時のセットとなる教えで、
「存在給」なる言葉もありました。
「何もしないでも自分には価値がある」
「いるだけでいい」
いるだけで、存在しているだけで給料が発生するくらい素晴らしんだよ!
という理論です。
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2月18日。ヒーリング。
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