先日の新月の夜に、
こんなオンラインの無料イベントを行いました。
60名以上の方が参加してくださり、
月と微生物の関係のお話とか、
今起きている免疫機能低下、
そして、骨盤底筋のエクササイズの実践など、
色んなことをシェアし、
平和への祈り共有することができました。
さて、
このオンラインイベントでは「祈り」をただの言葉ではなく、
全身全霊の体感覚やハートの感覚も使って祈る、そしてそれを共有する、
ということを行いました。
祈りってピンキリなんですが、
神社に行って、
「宝くじがあたりますように!」
「病気が治りますように!」
「素敵な彼と出会えますように!」
みたいな懇願が多いのが現状ですが、
それは祈りと呼ばれる行為の0・0001%にも満たないというか、
祈りとも言えないと思います。
「お願いしたらダメなんですか?」
とかそういう話じゃないですし、僕も説教臭く、
感謝を伝えなさいとか、
未来形で伝えなさいとか、
他者のために祈りなさいとか、
そういうことじゃないです。
もちろん、それらも「祈りの一部」でしょうけど、
今あげたものはすべて「形式」です。
祈りに形式や「やり方」があるのがおかしくて、
大事なのは「想い」です。
切実に、
真剣に。
でも深刻さは皆無にして、軽やかに。
願望を解き放てばいいと思います。
ただ、その願望は「本当にあなたが望んでいるのか?」は大事ですけどね。
僕は幼い頃から「祈り」という行為は自然な行為でした。
キリスト教の幼稚園に入った頃には、
なんの違和感もなく、黙々と祈るという行為が好きでした。
やがて座禅や瞑想にのめり込むようになりましたが、
結果として、祈りと瞑想は合わせて一つというか、行き着くところは同じでした。
祈りは瞑想になり、
瞑想は祈りになる。
そして、
自分の願いは宇宙(神)の願いであり、
宇宙(神)の願いは自分の願い。
そう感じるようになりました。
全国を旅をして、
各地で祈りを捧げることがライフワークとなっています。
いつも一人旅が多かったのですが、
最近は旅の共有、そして祈りの共有を大切にしています。
一人より二人。
二人より三人。
あなたがもし、真に祈りたいことがあるのなら、
あなた自身がまず全身全霊で祈ることを覚え、
そしてその祈りを共有することです。
それは世界に、宇宙に放たれます。
「そうすれば願いが叶うんですか?」
「その祈りの結果はいつ出るんですか?」
という質問が出るとするのなら、
もう少し「祈り」を学ぶ必要があります。
祈りは現在から未来を創造するためのツールではなく、
過去も現在も未来も一つにすることです。
今、あなたは何のために祈るのか?
今、あなたの祈りで完結する。
今、自分の祈りに委ねる。
祈りの世界は奥が深いです。
宗教には祈りは欠かせませんが、
僕は宗教や特定の信仰で祈ってるわけではありません。
ただ、古来から「祈り」は人類と共にあり、
世界は「祈り」によって創造され、運営されています。