聖音、でネット検索すると、その多くが「OM(オーム)」についての記事が表記されるかもしれません。

今でも、一部のヨガや瞑想などで使いますね。

インドでは古来より、このオームという聖音が、宗教的儀式などで唱えられました。

瞑想などの行における「マントラ」という短い語句があり、心を落ち着かせたり、なんなら自分の意識を悟りとか「空(くう)」へ誘うための呪文として、瞑想家たちの間でさまざまなマントラが利用されています。

日本語訳では「真言」となります。真言宗では「オン〇〇ソワカ」という御真言がたくさんありますが、「オン」は、「オーム」から来ているとされています。

オーム、と聞こえますし、オーム(OM)というマントラもあるのでしょうけど、実際は「AUM」え、アウム、という発音に近いものが基本的にあると思います。

ちなみに西洋だと「アーメン」だし、中東イスラムでは「アラー」です。どれもどこか共通していると思いませんか? どうして似てるのか?それはやはりこの響きになんらかの力があるからでしょう。

僕もいくつかのマントラを使っての瞑想、というのを実践したことがありますし、特別なマントラの伝授というものを受けたこともあります。

そんなことをやっていたので、当然自分の周りでも、同じように、マントラ瞑想に励む人たちというのはたくさん見聞きしてきたし、マントラの瞑想会も参加したことがあります。

きっと、それはそれで価値のあるものであり、それを伝える人たち自身は、そのマントラの効用を感じて、そのマントラで自身に大きな変容が起きたのだと思います。だから、そのマントラを伝えています。

しかし、実際のところどうなのでしょうか? そのマントラが「機能」している人がどれくらいいるのかというと疑問です。

「アーメン」も「オーム」も「オン」も、全部マントラですが、それをたくさん唱えまくっている人たちは、それだけで何か意識変容とか、覚醒状態が起こるのでしょうか?

マントラ瞑想の批判ではないです。なぜなら、ある特定の音節によって、唱える人にそれなりの条件が整えば、作用するエネルギーがあるというのも僕の解釈だからです。

ただし、その条件の発動は「エゴ(恐れ)の浄化」や「深いリラックス」「思考の沈静化」「感情の凪」などが必要であり、その上で「意図」が思考の前提に置かれいている…。まあ、それができるのならもはやマントラなどいらない、という状態ですが…。

ただ、“思考や感情の沈静化”には、マントラというか、念仏や題目を一心不乱に唱え続ける、というのは非常に効果的です。

思考が入り込む隙間がないくらい、唱える唱える唱えまくる! 浄土宗などに代表される大乗仏教はまさしくそれが狙いです。

しかし、それだった「南無阿弥陀仏」とか、ありがたそうなサンスクリット語の「マントラ」じゃなくてもいいのです。例えばドラえもんまたジャイアンにいじめられたよ」でもいいですし、「のび太さんのエッチ!」でもいいんです。

「ドラえもんまたジャイアンにいじめられたよ、ドラえもんまたジャイアンにいじめられたよ、ドラえもんまたジャイアンにいじめられたよ、ドラえもんまたジャイアンにいじめられたよ…」

「のび太さんのエッチ!のび太さんのエッチ!のび太さんのエッチ!のび太さんのエッチ!のび太さんのエッチ!…」

何が言いたいかというと、言葉の意味なんてどうでもいいのです(特にドラえもんに思い入れはありません)。

「ありがとう」とか「愛してる」とか、「波動の高い言葉」とかとか、そういうものはひとまず置いておいて、とにかくなんでもいいから一心不乱に言葉を連続して唱え続けることに集中すると、思考と感情は余分な反応を起こさないで済みます。

だから瞑想導入には役立ちますし、一定のリズムを延々を繰り返すとトランス状態になる可能性は高いです。

でも、それって「聖音」や「マントラ」の本質ではありません。

 

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12月27日(水) 聖音瞑想

 

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