スピリチュアリズム普及会は、そもそも、霊体験が何か、霊が何か、魂が何か、そもそも神が何かの理解において、あくまで日本人的な固定概念の範囲内に過ぎない。

 

    ・・・・・

普及会は霊的体験を、単なるエクスタシーを味合うもののように矮小化して想像する。

 

 ↓ 間違いだらけの説明。酷すぎるんですけど、その一部分だけを拾います。

 

 

 

 

      ・・・・・

 

天と地が融合した極限の瞬間――あっという間の一瞬でありながら、すべての障壁が取り除かれた時、人間は自分本来の霊性を自覚します。すぐその束縛を押し破り、霊の本来の感覚であるところの法悦(エクスタシー)の状態に達するのです。

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』p.133~134

 

      ・・・・・

  

 

 ↑ この部分は普及会が昔らよく引用するところだが、シルバーバーチが、偉大なハリーエドワーズとの対話で説明しているものです。(何の話か全くピンと来てないみたい

 

スピリチュアリズム普及会は、これをいわゆる神人合一(神秘主義的霊体験)のものであると解釈しています。

(ちなみに、スピリチュアリズム研究ノートなるものは、神人合一なる概念すら全く理解できていず話にならない)

 

 

 

      大いに間違っています!

   (百万回読み直しても分かる訳ないけどね

 

  いわゆる、神人合一と人間が思った霊体験そのもののことではない。別の言い方をすれば、普及会がいうところの、神認識能力そのもののことではない。

 

いわゆる、キリスト教神秘主義のいう霊的変容”のことだ。(両者は別のもの)

 

日本仏教では、臨済宗の肩書と意気投合したときに、大歓喜とか小歓喜とかいう表現で説明していた(堕落した日本仏教においてですら、合一と区別している。)

 

 いわゆる、神秘主義的な合一とは、霊と魂との合一のことだと、シルバーバーチの霊訓では説明されています。

 

(普及会は、霊と魂の区別さえ否定しているレベル)

 

 

 二元論のキリスト教では、いわゆる神人合一の宗教体験(インドにおける悟り)の深堀については迫害の対象となったけど、霊的変容については、憧れの宗教体験です。

 

       両者は別物。

 

 

   私自身が、証言をもっています。

 

 

 すぐその束縛を押し破り、霊の本来の感覚であるところの法悦(エクスタシー)の状態に達するのです。

   

 ↑ これは、自己の霊との合一のこである。シルバーバーチは、原文では、ハイヤーセルフと説明している!

 

 偉大なハリーエドワーズは、自己の宗教体験を語っている(ここでは割愛)のですが、まさに、キリスト教神秘主義のいうところの霊的変容の体験そのものであります。

 

 

法悦(エクスタシー)の状態に達するとは、泉のように、胸から感動の渦が湧き上がったりします! 自動的にいつまでも。

 

 

映画ピノキオは、この霊的変容についての物語でして、単になる被造物から人間になったピノキオの胸に、金のバッチが現れています。

 

    御伽噺じゃないんだってば!!

 

 

・・・・・・・・・

 

このような神秘現象はしばしば、(キリスト教神秘主義を含む)神秘主義一般に見られるものであるが、キリスト教徒にとっては、強調点が別の所にある。つまり、キリスト教神秘主義で強調するのは、主に、人間の霊的変容である。人間の霊的変容とは、時として強調されるように、人間は「神の似姿に造られている」ので、より完全な人間になる、あるいは人間性をより実現するということである。キリスト教徒にとって、この「人間の潜在性を完全に実現すること」は、イエスにおいて最も完全に果たされており、また他の人においても、イエスとの結びつきを通じて実現される。 wikiより

 

 

 

        ・・・・・・

    

 

  ↓ こっちに注目すべき

  

 人間は自分本来の霊性を自覚します

 

  ↑普及会は、”体験”していないから、体験を契機にもたらされる果実ではなく、体験そのものに目がいくので、スルーしてしまう。

 

  霊性を自覚します

↑ 霊的意識を見つけるってこと。どころか迫って来るんだよ!! 言葉遊びじゃないんだよね。

   

  (顕在意識も潜在意識も関係ないっす!)

  

       変容するってこと。

  

        

 

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者 です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」 Ⅱコリント5:17. 

  (体験そのものではなく、果実をかたってるのよ)

  

  ↑ 偉大なハリーエドワーズに、これについて語ってるの。ハリーエドワーズは西洋文化圏の人だから。

 

普及会は、体験の果実が何か、想像もつかないでしょう。

(あの葡萄は酸っぱいに違いないとしてるだけ)

(神認識能力があるのは単に霊体が発達してるだけトカ・・)

 

    ・・・

 

 

 

  ↑ 間違っている。 

  霊的意識を見つけていないのは明らか。

 

   それは、古から言われているように、

     向こうから来るの!!!

     彼方より来るの!!

   

 そういう表現も霊訓の中に散りばめられているけど、スルーしてたでしょ?(ピンとこないのは仕方ないけど

 シルバーバーチの霊訓は教義ではない、生きている訴える声なんだ

  

 

   ついでに、ハリーエドワーズが”霊の心”とか、”肉体の心”とかでもって説明するのは、あくまでヒーリングに向けての実践的な視点であって、自我の深堀のための視点ではない。だから、この人凄すぎるだけどね。(普及会はピンとがずれてて、噛み合ってない)

  

 

     ・・・・・

 

 

偉大なハリーエドワーズ先生は、自分の使命のための、非常に実践的な人なのであって、神人合一と人間が思ったような霊体験には興味ない。

 

 

 あくまで、そのような意義における、霊的な変容なことなの!!

 

  

 もちろん、この霊的な変容を、神秘主義的に説明できる。

 

”すべての障壁が取り除かれた時、人間は自分本来の霊性を自覚します。””

 

 この障壁を説明したのがこれ。

 

すべての障壁が取り除かれた時

 

 

固定概念の打破。(この意味わかねぇだろうなぁ)

 

種は腐らなければ発芽しないと、イエスは云ったのはこれ。

死と復活。

 

霊体が発達してるに過ぎないから神秘主義的な体験するとか・・・

普及会は、宗教を舐めてる。霊体験を舐めてる。

そうぞうを超えてるって意義を想像できないのは仕方ないけどね。