呉軍を、「吴军」と、初めて簡体字で検索してみると、思わず声を上げた!そして心から喜んだ。
先ずこの動画をみていただきたい。
かつての大好きだった、親密な友は、中国国
家一級演員になっていたのだった!
国家一級演員とは、日本で云えば人間国宝よりも遥か上の評価だ。国民的な明星なのだが、
恥ずかしながら、私がその意味を知ったのも呉軍について調べた、数日前に過ぎない。
私が愛すべき呉軍と心温まる時間を共にしたのは、1995年の3月~8月までの短い期間に過ぎない。
彼は中央戯劇学院の導演系の一生徒。私は、漢語班に留学していた日本人。
同じ大学に所属しているとはいえ、通常、漢語班の留学生と、本科生との接点はない。
本科生の寮は、校舎のある敷地の中にあるが、私たちの寮は、外の東楼にあったし、授業の行われている校舎も違っていた。
まして、呉軍は、6人部屋の寮を嫌っていたのか、学校の近くに部屋を借りていた。
なので、本来なら私と呉軍が知り合う事すら薄い確率だ。
それに、今は知らないが、当時の日本人留学生(導演の本科生一人を除く)は、誰一人として、中国文化、映画に興味関心を持っている人間はいなかった!!! 東楼の407には、世界的な映画俳優、李保田の部屋があり、私は人を介して部屋に遊びに行かせてもらい、良くしてもらった話をいかに興奮して話しても、まさに、馬耳東風だった。 呉軍は、「写真とったか?」 拍照拍照拍照 と、おどけながら言ってくれたケド。
私は、同性愛者ではない!このことだけは、ハッキリと云っておく!
しかしながら、私は呉軍とは初対面で、ほんの短い言葉を交わしただけで、彼の人柄に完全に魅了され、つり込まれた!
イメージは、皆が子供の頃に心に浮かべる、「孫悟空」そのものだった!
確か、私が親密にしていた本科生の女性歌手と話していた時に、呉軍が現れたのだと思う。彼女と呉軍は同郷だったので、話すきっかけがあった。彼は学生の癖に名刺をもっていて私に呉れた。
この動画でもわかって頂けると思うが、呉軍は、なんという愛くるしい人柄にして無垢な態度。眉毛の動かし方まで当時のまんま。謝謝謝謝と二回繰り返すのもまんま。先に人を座らせるのもまんま。動画にあるように、「レディーファースト」と、ちょい英語で笑わせるのもおんなじ!
貴方は漫画のキャラですか?
さすがに人格天下一品の呉軍は、自分に向けれれた私の胸の輝きに気づいたのだろう。
「今日の夜遊びに行こう」と、誘ってくれた。待ち合わせ場所は、戯劇学院の門口と決まった ・・・ の 筈だった。。
しかし、夕刻6時ごろ、門の前で呉軍をいつまで待っても来ないのだ。そういえば、「晩上、門口」と決めただけで、具体的な時間は決めていなかった。寮に戻り、宿直の中国人に、中国の「晩上」は何時かと尋ねると、晩御飯を食べた後だと答えた。晩御飯は何時に食べるのかと再び尋ねると、「6時」と答えた。嗚呼、記憶が蘇る。
7時過ぎにからまた門口に行き、呉軍を待った。随分待った・・が、来ない。陽は暮れた。一人で待っていると、食堂の兄ちゃんが話しかけてきたので、呉軍を探しているというと、「知っているからついて来い」と云った。
歩きながら、貧しい懐事情なのに、私にソーセージと大瓶のビールを買ってくれた。兄ちゃんはめちゃくた嬉しそうな顔をしていた。そして、21歳の子供には敷居の高い、本科生の住む寮の4階?の従業員の住む部屋に連れていってくれた。そして彼の友も自己紹介し、歓待してくれた!
しかし、私の心の中は、「呉軍に会わないといけない!」という衝動に支配されていて、完全に心ここに在らずだった。
失礼と知りながら私は去った。「私は呉軍を探している」と云って去った。 それ以降、彼らは私に全く相手にしないといった態度をとった。心苦しかった!ごめんなさい。今でも気にしています。
その日は、呉軍に会えなかった。
次の日私はこのやるせない気持ちを呉軍に訴えた。と、いっても言葉は通じないから態度で!
それと、この動画では伝わらないと思うが、呉軍の心は軍人のそれとしか例えようのない、鉄のような強さが滲んでいる。
愛くるしい姿だし、態度だけど、踏み込んでの愚痴を相手に言わせない軍人魂を持っている。人生経験をそれなりに積んだ今ならその呉軍の強さがどこからくるか分かる気がするし、余計に魅了されるのだが、当時はただ、「秘めたるものがある人」しか分からない。
しかし、呉軍は優しい男だ。目の前の人間の意識を無下にはしなかった。
笑顔で、ごめんごめんw「今日、京劇を見に行こう!」と、兄の様に誘ってくれた。まさに兄と弟。
私と呉軍は風貌も似ていて、国家二級歌手の姚艶俐は、後に私たちを兄弟みたいだと云った。それが嬉しかった。
ただ、京劇が終わるのは夜の九時。寮の門限には間に合わないはず。
その事を呉軍に伝えると。「大丈夫だ!俺が、宿直の人に言ってあげる」と云って東楼の5階までの階段を上った。後ろ姿を思い出す。
鞄を首からからい、膝下までのズボン。坊主あたま。嗚呼、なんでこんなに覚えてる??
東楼の宿直の爺さんは、人民解放軍の元兵士でスキンヘッドでがっちりしていて、66歳なのに腕相撲が私より強い。アルミの弁当箱の中身は、白い万頭(具のない肉まん)が二つ入っているだけ。江戸時代のようにキセルで粉煙草を吸う人だ。懐いた私も真似してキセルを買って、粉を分けてもらったものだ。
しかし、爺さんは、元兵士だけに頑固一徹だ。ダメなものはダメなのだ!中国将棋だってちょう負けず嫌いだし・・ 東楼に住む、教授が怒鳴り散らしたって一歩も引かないんだから!そそもそ、文革とかを潜りぬ抜けた人達に小手先のごまかしは通じない。
私は、一生徒にすぎない、呉軍が何を言っても無駄だと思っていた。けど、呉軍は孫悟空みたいに愛くるしい顔して自身満々。ちょっと軽すぎないか?と思ったほどだ。
結論から先に言えば、なぜか頑固爺さんは首を縦に振った。
今なら、その理由がわかるが、ずっと謎だった。
彼は既に、ありえないくらい超一流の役者だったのだ!
そりゃそうだ!
12歳の赤 と 呼ばれて 湖南省のコンクールで一位になっていた男だったのだ!
(数日前に知りました)
この時点で、私は呉軍が戯劇学院の生徒である事しか知らなかった。
表演系(俳優コース)ではなく、導演系(裏方)の生徒であることすらその時は知らなかった。
というより、私にとって、目の前の呉軍の社会的な立場がどんなものであるかなど興味なかった。
大変失礼な表現かもしれないが、当時の中国は貧しかった。ここだけの話、李保田すら、カウンタックみたいなライトがついた自転車を自分の部屋のある4階まで、階段を抱えて登って来ていたくらいだ。本当か嘘か分からないが、鞏 俐のギャラが50万円くらいと、本科生の生徒に教えてもらった!ありえない時代だった。
これだけは、真実だ!
目の前の男は、まぎれもない、「本から飛び出た男」だった!
そうだ!いま思い出した。同じことを私も云われたことがある。「テレビから出てきた男」だと。その人は随分私に親切してくれた。
同じ気持ちだったんだ!””私の気持ちは比較にならない。
話をもどして、呉軍が、頑固親父にどのように接したかと云えば、あくまで私の見た記憶の光景だが。
① 古い中国映画のワンシーンそのままに、煙草を箱から一本とりやすい形にしたまま、親父に差し出しす。
② 時代劇の家来が、上司に接するような態度で話かける。師父(シーフー⤴)語尾が相手に向かうように上がる。
③ 歯は見せない。媚びる感じではない。あくまで、賓師に対するような態度。
それに対して、頑固おやじは、煙草は受け取らない。(そんなに甘くはない)
駄目だといった感じでしゃべっているが、徐々に、折れていく・・・・
25年以上前の光景をどうしてこんなに覚えているのがなぜか?
そのこと自体が、呉軍の凄さなのだ!
しかし、不覚にも当時の私は、なんだか映画と同じ事中国はいまだにやってるんだなってくらいに思っていた。
何たる不覚!!!
ともかくも、私たち二人は京劇を観に出発したのだった。
つづく