臨済禅では公案という修行が昔から重視されています。

師家から与えられる公案の課題を一つずつ解いてゆきながら、見性成仏に近づいてゆこうというわけです。

 

しかしながらこの課題というのが、理屈で解ける性質のものではないので、坐禅などを通して何とか直感を得ようと、かなり苦労します。

そして解答を得たと思ったら、師家の部屋に赴き、一対一で応えます。

難しい公案では、ひとつ透るのに何年もかかるそうです。


有名な公案として例えば「趙州狗子」「庭前柏樹(祖師西来意)」などがありますが、理論的にどんなに考えても、答えは見つかりません。

 

ただ以前、懇意にしていた老師にお会いした折、何人かの雲水がたとえ同じ答えを持ってきたとしても、透る場合と透らない場合がある、と伺いました。

だとすれば言葉上の決まった答えがあるわけではなさそうです。

 

公案ではありませんがかつて国学の師に、幾つか質問を受けたとき、無言&無表情で何ひとつ返答しなかったにも拘らず、「それでよい」と言われたことがありました。

公案については門外漢なのでよくわかりませんが、国学の場合、例えば「無」についての課題ならば

実際に「無になること」が、正しい「応え」なのです。

つまり口先で理屈をこねるのではなく、体現するというか無声・無形で表すのが最上というわけです。


ここで前述の「趙州狗子」「庭前柏樹(祖師西来意)」を、簡単に、ご紹介したいと思います。(「無門関」岩波文庫)


「趙州狗子」~無門関 第1則

趙州和尚、因みに僧問う「狗子に還って仏性有りや」

州云く「無」。


「祖師西来意」~無門関 第37則

趙州、因みに僧問う「如何なるか是れ祖師西来の意」

州云わく「庭前の柏樹子」


無門関は、宋代に無門慧開老師によって編纂されました。

この無門関には48もの公案が紹介されており、各々に頌と評唱が付けられています。


そして無門関と共に有名なのが碧巌録です。

碧巌録は別名、仏果圜悟禅師碧巌録と呼ばれています。

臨済宗における代表的な公案集のひとつです。

こちらは宋代に、圜悟克勤老師によって編されました。
共に岩波文庫にありますので、ぜひ一度読まれることをお奨めします。

禅の妙味の一端を味わえるはずです。