眼を閉じることを瞑目と言うように、もともと瞑には「閉ざす」という意味があります。

ですから、瞑想とは「想いを閉ざす」と解釈してもよいでしょう。
 

想いとは、心の相のことです。
よく家相とか手相というように、相とは「特定の形の置かれている状態」を意味します。
 

不動産屋さんの店頭に家の間取り図が貼ってありますが、家相をみる場合、その間取りの方位上の向きが最も重要になります。もちろん間取りの如何も大切ですが、その置かれている状態が最終的に吉凶を分けるわけです。蛇足ですが、孔明が駆使したとされる八門遁甲等では、さらに時間というファクターも用います。
 

つまり瞑想とは「心の置かれている状態を閉ざす」ということになります。

これは所謂「止」に相当します。


インドでは、止と観がセットになっていますが「観」を究めるには、まず「止」が前提となります。


ヨーガスートラやウパニシャッドなどの古典を読まれている方なら、すでにご承知のことと思いますが、この「止」は、ある意味ヨーガの根本であり、観照への基礎でもあります。


瞑想は、まさにここから始まるわけです。