毎月発行している「明秀かわら版」の「Topics」欄に掲載した記事が、生徒のお母さま方から大きな反響をいただきましたので、ここにご紹介いたします。

 

 

「何もできないという価値」新聞記者のお母さんが書いた文です。

 

今日もお皿も洗えずに子どもたちと寝る。夜中に起きて、山になったシンクから、なるたけ音を立てないようにと洗っている最中、1歳の次女がグズグズと起き出す。ヨシヨシと声をかけておっぱいを飲ませると、すやすやと寝る。

仕事をしようとパソコンに向かうと、またグズグズッと泣き出す。 (中略)

「はーい」と返事をしてきりがいいところまではとパソコンに向かうと、ピーピーと泣き出した。

「ハイハイ、ゴメンネー」と、パソコンに向かうのは観念して横になる。頭の中は仕事のことでいっぱいだが、一度仕方ないと観念すると、娘の手の動きや様子が見えてくる。

コクコクとおっぱいを飲みながら、小さな手を伸ばして私の顔を触る、鼻をつまむ。決してマッサージのように心地よい触り方ではないけれど、観念した私には、お母さんの心が広がっていく。あー、と愛おしくなる。 (中略)

また今日もなにもできんかった。

できることは、ただただお母さんを感じることだけだ。言い訳だろうか。いや、そうではない。

お皿を洗うことよりも、洗濯をたたむことよりも、パソコンに向かうことよりも、大事にしたい「今」。

ほら、ほら。また「ママ」って呼んでいる。

何も出来ない中にもお母さんにしか感じられない幸せ。今しか感じらない幸せがある。子供が小さい時にしか感じることの出来ない感覚。「ママー」と自分を求める声。

この母親であるということが感じられる「今」が何よりも幸せで、かけがえのない大切なものなんだ。

 

 

 

この記事に感想を寄せて頂いた方は皆、「働くお母さん」。

家事・仕事そして母親の両立は大変なご苦労がおありだと思います。

限られた時間の中、体力・気力をすり減らしながらの毎日。

ご自身、ほっとできる時間はほとんど持てないことでしょう。

お子さんの成長、それこそが唯一の励みなのかもしれません。

 

私も微力ながら、お子さんと共有できる時間に精一杯の力を注いで参ります。

 

まだまだ寒い日が続きます。

お体、大切に。